2017年12月30日土曜日
【ゲーム】EDF5オフHARDレンジャークリアしました
2017年12月16日土曜日
【ゲーム】地球防衛軍5で号泣する無職
地球防衛軍とは地球に飛来した宇宙人共を殲滅し地球を、人々を守るゲームだ。地球を我が物顔で闊歩する巨大生物。我々人類は決して奴らを許しはしない。戦友と共に武器を携え奴らを駆逐するのだ!
って感じのゲームです。元々僕自身友人の家でちょろっとやらしてもらったくらいで、なんか三國無双の敵が巨大生物になったやつって認識でした。最新作である地球防衛軍5(以下EDF5)も購入後暫くはドンパチゲーでストレス発散系という認識。
しかしとあるミッションで事件が起こった。撤退中の友軍を守るため少数部隊で幾千もの巨大生物を相手取るミッション。激戦の末満身創痍でなんとか勝利するものの、その数を遥かに上回るほどの敵が向かっているとの通信が。
悍ましい数の巨大生物に囲まれ、疲弊し傷ついていく仲間たち。死を覚悟し銃弾を撃ち込み続けるも敵の飛来は止まらない。やっと本部に通信が繋がったかと思うと、超精鋭部隊を派遣したと。
まず無職ここで半泣きである。操作や立ち回りに慣れてきたところで圧倒的な敵の数に押され倒れていく仲間。土砂降りの中励ましあい士気を保つも敵を倒せど倒せどキリがない。BGMも相まってその悲壮感にお腹がぎゅうぅぅってなって涙目。そして派遣要請を受けた超精鋭部隊の通信で自分は完全に男泣きしました。
「敵の数が多すぎる、俺達まで全滅してしまう!」
「それがどうした。それが我々の仕事だ。……迷子はどこにいる。持ちこたえてみせろ」
こういう展開はもう卑怯だと思う、MOTHER2でもエンディングの絶望→安堵から赤子のように泣いてしまったが、それに匹敵するくらいには泣いてしまった。結局このミッションは激強味方アリでも10回くらいやりなおしてようやくクリア。次のミッションでは決して人類には歯が立たないと思われていた巨大要塞を討ち滅ぼし達成感に涙した。
このゲームは単なるドンパチゲーではない。このゲームには宇宙人に蹂躙された人類が戦い抗う男の詩がある。戦略を練り地球を守る楽しさ、宇宙人のキモさ、人々……。割とゴジラ作品的なリアリティもあってかすっかりこのゲームの虜になってしまいました。最近ここの更新がないのもだいたいそういう理由です。
なんでわざわざ記事にしたかっていうと、自分みたいにEDFを過小評価してしまってる人がいるからなんですよ。ここで今書いたみたいにたくさんの魅力が詰まったゲームなのに一側面程度しか見ずに印象付けて終わってしまっている人の多いことが僕にとって残念でならんのです。この記事を読んで少しでも興味を持ってくれた人がいたら幸いです。僕からは以上!EDF!!EDF!!
2017年12月4日月曜日
【ゲーム】パズドラはオワドラなのか?適当に切る
パズドラについて思い出すことは、スマホ所持者の大半はプレイしていたこと。そして僕は当時学生だったこともありぼっちになることを恐れソシャゲに興じ話題に入ろうとするキョロ充を山ほど観てきたし侮蔑もしていた。だが僕も結局は同じ地獄に落ちた。経営学部だったこともありプレイしないことにはなにもわからないし少なからず興味もあったからだ。プレイしてみたらおめぇ……元々ぷよぷよなんかが好きだった僕はみるみるハマり、コンボを友人に自慢し、ガチャで強キャラを入手しパズドラにうほうほハマっていた。
5*6の盤面が見えるか?このぎっちり詰まった数色と回復を3つ繋げればドロップが消せる。ぷよぷよみたいなもんだけど隙間はない。楽しそうじゃないのって思うか?実際僕も大層楽しんでいた。
だが問題が起きた。こいつが現れたのである。
このホルスとかいうキャラは割りと簡単に超高火力を打ち出す異常キャラで、当時は最強とさえ謳われた。いまでこそクソギミック満載のゲームだが当時は火力こそ全てであったためこいつを手に入れようと課金しまくる奴が山ほどいた。僕はここで始めて"ガチャは賭博である"と理解した。
他にもスタミナというシステムがある。これはつまりダンジョンに入るにはスタミナを消費するがそのスタミナは時間で回復するというもので、ガンガンプレイさせないことで飽きさせないという効果がある。しかしスタミナは魔法石で、つまり課金で回復できるので誰かに勧められ始めたライトユーザーが勧めてきたヘビーユーザーに追いつくために課金をさせるという構造であると気づいた。
ホルス以外にも強いキャラが多く生まれ、様々なギミック、様々なシステムが追加されて行ったパズドラだが、ついにライバルであるモンスターストライクなどのソシャゲが生まれ、他にもブヒキャラで釣るソシャゲが生まれパズドラは斜陽を迎え始める。その多くのゲームにはガチャが、スタミナが、魔法石に代わるなにかがある以上、パズドラの集金システムがいかに優れていたかが窺い知れるだろう。
さて、そんなパズドラを久しぶりに起動したのは5ヶ月前だ。この記事のために今日までパズドラをプレイしてきた。さすがに課金はしないがどう進化しどう自滅していったのか見てみよう。
目を疑うクソギミックの数々
ダメージ吸収というギミックがある。属性や数コンボ以下、以上、あるいは数ダメージ以上、以下……そのダメージを吸収する。例えば99ターン光属性無効を敵に貼られたら光属性一色のパーティは為す術もなく蹂躙されます。ポーランドみたいなもんです。
数ダメージ以上吸収に関しても攻撃倍率が高すぎれば吸収されるかクソダメージしか与えられないかに終わり殴られて死にます。例えば100万ダメージ以上吸収と言われたらそれ以下のダメージでちまちま削ればいいんですが、落ち物パズルなので偶然コンボが生まれて倍率が上がり吸収……なんてことも多々あります。偶然連鎖が起きないように祈るゲームってわけわかんなくねぇか。ちなみにこの吸収を無効化するスキルを持ってるキャラは数キャラしかいないので持ってない人はプギャーらしいです。ふざけんな!
ダメージ無効もあるが、吸収と比べればまぁ優しいほうである。クソには変わりないがな!下痢便か普通の糞かってレベル。これも対策出来なければ死。汚い大人やでホンマ……
他にもドロップを数ターン不可視とする超暗闇、指定色のドロップを消せなくさせるギミック、敵の先制攻撃(普通なら即死するダメージもある)、HP51%以上から即死のダメージなら敵が耐えて即死ダメージをブチ込んでくるなど枚挙に暇がない(根性に関しても偶然の落ちコンで発動させてしまい死亡もある)。それらも全て対策キャラを持ってるかどうかで片付けられてしまうのでゲーム性が大きく損なわれている。ならダンジョン行く前に攻略見ればいいじゃんという者もいるだろうがそれじゃゲームじゃねぇだろ。初見であーだこーだ考えて攻略するのが楽しいんだから。でも攻略見ないとスタミナが無駄になる。これもうわかんねぇな
一世を風靡したパイオニアであるパズドラはクソギミックとクソインフレ、クソダンジョンとクソガチャによって勝手に自爆していく。今やそれらを模倣したシステムのソシャゲにすら遅れを取る始末。今や電車でパズドラをする学生も観なくなりました。皆他のブヒガチャゲーを真顔でプレイ(プレイと呼べるかどうかは疑問である)し、他に趣味もない者はブヒガチャに課金する無限地獄に落ちている。だが僕には教訓がある。ガチャは賭博、基本無料は買い切りよりも毟られる。人は、過ちを繰り返す。
めっちゃやってるのである。だってパズル好きだし、始めてプレイしたソシャゲだけあって別に誰と話題共有しなくても楽しい。僕は何をするにしても「自分が世界に一人しかいないとして、誰ともその話題を共有しなくてもそれを本当にしたいかどうか」を重視している。パズドラはインフレしているかもしれないが裏を返せばめちゃくちゃキャラが、ダンジョンが、やることが多いということになる。
実はモンストもちょっとやってたのだが、飽きた。おはじきだし、戦略性もないし、キャラの見た目よくないし、やたらマルチプレイを推してくるからだ。マルチプレイ専用のダンジョンでドロップするキャラが進化に必要だった時は驚いた。スマホゲームってどこでも好きなときに一人でまったり遊べるべきだろ……少なくとも僕のような生き物はそうであるべきだと思う。パズドラもマルチを推してくるけど別に一人でもなんとかなるので大丈夫。そもそもパズルゲームなのにマルチっておめぇ、なあ!
コラボも嬉しい。昔からパズドラは色んな作品とコラボしてきた。正直モンハンコラボでは課金してしまった。しないわけがない。僕は人生でモンハンさえあればいいとさえ思うほどのモンハンキチガイなのだから。今のハガレンコラボも嬉しい。ハガレン実写は嬉しくないが、やっぱ自分の好きな作品とコラボしてくれるのは嬉しいじゃないですか。モンストもコラボあるけどコラボダンジョンがそんなに凝ってないので大して盛り上がらない。さっきからモンストばっか引き合いに出すのは他のソシャゲをあまり知らんからです……
それとさっき言ったこと、キャラデザがいい。割りとひと目でパズドラのキャラってわかるし、いい感じにブヒれる。
いい感じ~☆(ローラ)お前まだパズドラやってんの!?っていう人もいるだろうが、むしろお前まだブヒガチャゲーム以下のゲームを名乗る作業やってんの!?」と思う。誰がどれに魅力を見出すかは人それぞれだし、僕はこれに少なからず快楽的なゲーム性を見出したのでプレイしている。これから先もわざわざプレイするかは謎だが、やっぱいいゲームだなあと思うのだ。他にもいくつか手に取ったソシャゲはあるけどどれもすぐに飽きてしまった。そんなもんだろう。
2017年11月25日土曜日
【ゲーム】どうぶつの森 ポケットキャンプを切る
しかし、そんな家庭用ゲーム市場も縮小し続けています。続編が出ないシリーズ、経営状況の悪化したコンピューターゲーム企業。そしてスマホゲームに夢中となった人々のせいも相まってますます家庭用ゲーム市場は縮小していっています。。続編の出ないシリーズと言いましたが、その中にはスマホゲームとして退化し登場したものも少なくありません。もうおわかりですね?それはどうぶつの森です。
どうぶつの森は僕自身ゲームキューブ用のものしか遊んでなかったんですが、家族で楽しんでいたこともあり出来るだけ続編の出続けて欲しいシリーズではありました。あのかわいらしい世界観の中、生活を楽しむことで日々のストレスも軽減されるというものです。
ニンテンドースイッチが発売されましたが、結局どうぶつの森はニンテンドースイッチで開発されることはなく、スマートフォン向けに超絶退化しその有名タイトルにあやかった何かと成り果てたのです。こういう例はいくつもあるし「またか」としか思いませんでしたが、こうやって家庭用ゲーム市場は自滅していくのだなあと思うとどうにもやりきれない気持ちです。
……ん?ちょっと待ってください?じゃあこのともはるという男は「どうぶつの森 ポケットキャンプ」をクソゲーと認定、ソシャゲへと退化したポチポチゲーとして侮蔑しているということでいいんですよね?だってこれだけソシャゲを卑下しているのですから。これだけのことを言っておいてまさかソシャゲを楽しみまくってるなんてこと、ありませんよね?
めっちゃ楽しんでいるのである。そう、僕はソシャゲをガチャガチャアホ向け違法賭博非倫理的麻薬中毒者製造ウンコとして最大限侮辱しているのだが、結局「どうぶつの森 ポケットキャンプ」を楽しんでいるのである。しかもそのプレイヤーレベルは17。これはもう自由時間の全てを投じてようやくたどり着けるレベルである。どうぶつ達と交流したり家具を作ったりすることで経験値がもらえ、レベルが上がる。もうつまりこの無職、夢中になってこのゲームを楽しんでいるわけなのだ。
では何故僕がこのゲームにハマっているのか?答え、ガチャがない。
僕はガチャシステムを搭載しているその全てのゲームをゲームだと認めてはいません。賭博中毒者の餌、そのついでにゲームのようなものが付随しているという認識なのです。本質は射幸心を煽って大した趣味も時間もない社会人から金をむしり取るクソ害悪システムですから。言い過ぎました、ようは好きじゃないんです。
でもガチャがないならソシャゲも悪くない。気軽に無料で始められるのでまさしくソーシャル(社交的)。話題にもなる。課金も出来るけどそのリアルマネーを使うことで家具の製作にかかる時間をスキップできたり、素材収集のクールタイムをスキップできたり、
僕がガチャへの悪口を書き始めると宇宙が終焉を迎えるまで書き続けられるのでガチャへの言及はもうしません。このゲームは確かに廉価版どうぶつの森かもしれません。けれど確かに「どうぶつの森」なんです。だからいい。だからこそいい。こんなのゲームじゃねぇ!作業だ!と思う人もいるかもしれませんが、それでいいのです。僕はどうぶつの森が好きだしその話をするのも好きなのでこのゲームにゲーム相応の楽しみを見出し、それに興じる。ただそれだけのこと。今全ての話題に対する最強のカードを切ります。人それぞれです。
そんなこんなで初ゲーム記事でした。普段はスプラトゥーンでブチ切れてますが、それを記事にするのはあんまりなので楽しく遊べてるこのゲームを記事として採用しました。無料でできるのがいいところなので興味があったら始めてみてください。つまんねーと思ったら辞めてください。楽しいと思ったら遊んでください。
最後に僕のキャンプを紹介します。キャンプってのは家具などのモノを置いて絨毯を敷いてどうぶつやプレイヤーに遊びに来てもらう要素です。
【雑筆】治験終了無職
今回の治験の流れをまとめておきます。もし治験に参加或いは興味のある方は参考にどうぞ。
治験参加前
いくつかの治験情報がアルバイトの求人みたいな感じで並んでるのでその中から自分の条件に合う治験に参加します。数日後連絡が来て治験の日程や食事制限などの詳細が伝えられます。治験参加前に病院で事前検診があり、採血や採尿、身長体重の測定等により治験に参加出来るかを確認します。また、事前検診の前にはアルコールやカフェイン、柑橘系などの食事制限があります。
治験本番
病院側の条件に即していることが確認されると、いよいよ治験への参加となります。僕の場合は2泊3日を2回というスケジュールでしたが、治験によってはもっと短いことも長いこともあります。基本的には長いほうが報酬も多くなります。
治験中は病院内で生活します。朝起きたらまず採尿、採血。投薬があるなら投薬。昼ごはんを食べて採血してシャワー浴びて夕飯食べて採血して寝る……そんな感じです。僕の場合かなり暇な時間があったので読書やスマホ、PCいじりで凌いでました。
ちなみに当然他の治験参加者と共同生活ですが、治験を受けるような人なのでコミュニケーションは皆無です。僕自身コミュニケーション取りたくなかったのでありがたいことです。
治験終了
最終日にベッドを綺麗にして何もなければ終わりです。何も、というのは例えば投薬による副作用があればその後も通院するなんてことがあります。僕の場合十数人が同時に投薬、生活してましたがなんか一人体調が悪いとか言ってただけでそれ以外は誰も何もありませんでした。その体調が悪いってのも投薬によるものかわかりませんし、副作用の心配はほとんどないと思っていいでしょう。
こんな感じでした。ぼけぼけ暮らして採尿して採血して寝て起きて……そしたらお金がもらえるっていう僕のようなナマケモノの擬人化にとっては僥倖中の僥倖なので本当に助かりました。
とはいえ、畢竟その場しのぎに過ぎないのでこれに甘えていてはいけないとも思いつつ……バイトでもせねばといった心持ちであります。参考になったかしら?僕からは以上です。
2017年11月18日土曜日
【書評】何もかも憂鬱な夜に
発行:2017年2月17日
「憂鬱」の文字に反応し目をやったところ、『火花』などで知られるピースの又吉オススメ!て触れ込みだったので書店でなんとなく買って読んだ本。確か高校生という暗黒真っ只中な頃に読んで、思春期に淀んで行ったこころを力強く照らしてくれたのを覚えています。別に意識高い系とか無関係の本ですが、僕にとって本当に大切な本なので紹介させてください。
あらすじ
どこか自分に似た山井と接する中で、「僕」が抱える、自殺した友人の記憶、大切な恩師とのやりとり、自分の中の混沌が描き出される。
芥川賞作家が重大犯罪と死刑制度、生と死、そして希望と真摯に向き合った長編小説。 ※引用:Amason「何もかも憂鬱な夜に」
一見死刑制度を取り扱っているようにも見えますが、テーマ自体は至極単純。「死」「生」「性」です。ただ漠然とあらゆる生物に訪れる死と、ただ漠然と脈打つ生命、ただ漠然と了解する性にえげつないほど切り込み解剖します。
作中の受刑囚の佐久間の言葉
受刑囚から刑務官への言葉。
考え方次第で自分を疑うことも、その未来をも疑うことができる。そして考え方次第でいくらでも不安に駆られる。ほとんど誰にでも突き刺さる言葉。受刑囚の言葉だからこそ重いというものです。
『僕』を救った恩師の言葉
飛び降り自殺をしようとした『僕』を救った施設長である恩師の言葉。
「温度と水と光とか……他にも色々なものが合わさって、何か、妙なものができた。生き物だ。でもこれは、途方もない確率で成り立っている。奇跡といってもいい。何億年前の」
「その命が分裂して、何かを生むようになって……そして人間になった。何々時代、何々時代、を経て、今のお前に繋がったんだ。お前とその最初のアメーバは、一本の長い長い線で繋がってるんだ」
「これは凄まじい奇跡だ。アメーバとお前を繋ぐ何億年の線、その間には無数の生き物と人間がいる。どこかでその線が途切れていたら、何かでその連続が切れていたら、今のお前はいない。いいか、よく聞け」
「現在というのは、どんな過去にも勝る。そのアメーバとお前を繋ぐ無数の生き物の連続は、その何億年の線という、途方も無い奇跡の連続、いいか?全て今のお前のためだけにあった、と考えていい」
今のために過去のあらゆる犠牲があり、あらゆる過去は現在に若かない。ちなみに生命が誕生する確率はプールに時計の部品を浮かべて勝手に時計が完成するくらいだそうです。その生命が自分にまで繋がってる、自分のためにあったっていうことは少し漠然とした力を与えてくれませんか?
「黒澤明の映画もフェリーニも観たことがない。京都の寺院も、ゴッホもピカソもまだだろう」
「お前は、まだ何も知らない。この世界に、どれだけ素晴らしいものがあるかを。俺が言うものは、全部見ろ」
「自分以外の人間が考えたことを味わって、自分でも考えろ』あの人は、僕達によくそう言った。『考えることで、人間はどのようにでもなることができる、。……世界に何の意味もなかったとしても、人間はその意味を、自分でつくりだすことができる」
受刑囚佐久間の言葉とは対極の言葉。人の生み出す素晴らしい作品に触れることで人としての幅が広がり、様々な思考、発想が生まれます。そして本来無意味な命に意味を与えられるのです。よく人生は無意味だとか抜かす雑魚がいますが、それはそいつにとって無意味なだけでそう考えない人には意味がある人生なのです。なぜならそう考えるから。
ちなみにこの言葉は飛び降り自殺を止めてくれた『僕』の施設長が語った言葉です。可笑しな話ですが毎日死ぬことばかり考えていた自分に向けられた言葉のようにさえ感じられました。
本書には死、生、性に特に強く関わる人が登場します。また、その多くの人間はそれらに悩み苦しみます。僕にはどの人物の言葉もあまりに痛切で、読み終わった頃には本当に生まれ変わってしまったような気がしました。思春期に家族に、社会に、自分にさえ疑念を懐き、結局それらに決着をつける前に歳を重ねてしまった僕は本当の意味で漸く救われたのです。どこかぼんやりとした不安を抱え、死を待つように生きていた僕にとってこの本は聖書なんか目じゃないほど大切な本です。
2017年11月15日水曜日
【雑筆】治験本番無職〜二日目〜
治験二日目は朝から検尿、投薬をしてから10回の採血を行います。採血には留置針という注射針をブッ刺しておいて十数分置きに採血を行い、割りと血を吸われます。
それが終わったら後は自由時間、つまり今の僕ですね。温かい麦茶を飲みながら夕飯まで過ごし、シャワーを浴びて寝る。明日は検尿してそのまま解散です。これら日程をもう一度こなして9,3000円です。その後4ヶ月は治験を受けられないのでいよいよ僕は働く他ありません。なんかたまにジャングルで暮らす原住民が羨ましくなりませんか?ならねぇわ別に。
そんなわけでなんか特に波乱万丈の治験ということにはならなさそうです。うん……治験っていいな。ちなみにご飯は弁当なんですが、粋な計らいか味噌汁までいただけて普通にいい生活です。こうしていればいるほど働く意欲は失われていくのであった。僕からは以上です。
2017年11月14日火曜日
【雑筆】治験本番無職〜1日目〜
投薬が明日。明後日退院ということなので初日は特に暇です。ベッドでなんかスマホでソシャゲに興じてみたり本読んでインテリぶってみたりもう普通に寝てみたりいろんな人がいます。その中にいるのがこのロン毛ホモ女装無職なのですね。
今日はもう弁当を食べてシャワーを浴びて寝るだけです。それ以外は自由なので別に何をしててもいいんですがやることがないです。永遠にプライムビデオとYoutubeを観るくらいですかね……ニコニコ?知らんな。
ていうか僕の書いた無職短編なんですが、あれ一回書いてしまったせいで僕の悪い創作意欲が騒いでしまってるのですよ。またなんか別の形で無職短編が生まれ貴様らにその全貌をお見せすることがあれば覚悟していてください。
そんなわけでここに1日目記事を終了とさせていただきます。明日は投薬とおぞましい数の採血が待っているのでそっちはそこそこの記事になると思います。なってください。僕からは以上。
2017年11月12日日曜日
【雑筆】苦手だったボカロを聴いた
2017年11月10日金曜日
【雑筆】治験合格無職
さて、とりあえず治験に合格しました。治験ごときに苦節半年。数日後には入院ということになります。どうせ絶望的に暇なので治験中は記事もどばどば書かれることでしょう。
……今回は報告のみなのでここまでです。こちらの記事で書かせていただいた無職短編を経て、僕は今一度創作というものについて深く考えるようになりました。なのでこれからは書評、雑筆に加えて無職短編も新たなカテゴリとして加わることでしょう。これは地獄の門がきしりきしりと開いたのに違いありません。あのおぞましい、痛々しい無職短編を貴様らは幾度となく見せつけられる可能性があるのですから。それでは僕からは以上です。
2017年11月3日金曜日
【無職短編】じゃあお前なんか書いてみろと言われたので
しかし恐らく僕は今から黒歴史を齢23で製造するだろうし、後悔もするだろう。なんならこれを読んだ人はその倍後悔するだろう。自分が視力を具えていたことを。けれど僕自身僕の筆致に興味があるし、彼の言うとおりなのかどうかにも幾分か興味がある。男は度胸、なんでもやってみるのさ(まさかの阿部さん)
さて、再三忠告はしたけどもまだ足りないので最終警告を言い渡す。おまえら聞けぇ、聞けぇ!静かにせい、静かにせい!話を聞けっ!男一匹が、命をかけて諸君に訴えてるんだぞ。いいか。いいか。これから意識高い系紛いの無職が筆を執り、小説と謳うごみを製造しそれを諸君らに見せようと言うのだ(まさかの三島由紀夫)
それではふんぞり返ってなろう系小説を批判した無職の駄文を笑うがいい。あとで編集するのやだなあこの記事。
無職短編・無題
僕は或用事を済ませ不相変眼球と後頭部に鈍い痛みを抱えながら帰路に着いていた。この偏頭痛の理由というのは珈琲をもう数日も嚥んでいないことに違いなかった。少なくとも毎日カフェインを摂取していた頃には偏頭痛も和らいでいたことを僕はぼんやりと思い出した。この症状は母に、そして祖母にも顕れる以上先天的に運命づけられたスティグマに他ならないとーー『横浜、横浜です』ーー電車のアナウンスが僕を空想の世界から現実へ連れ戻した。僕は殆どそのアナウンスに促されるように電車を降りた。
プラットホームは視界のどこも無機質で殊に兵隊の様に歩を進める人間は僕の目に痛ましい印象を与えた。サラリーマンの信じる神は企業だろうか?主婦の信じる神は高級ブランドのバッグだろうか?学生の信じる神は単位だろうか?僕の信じる神はーーこういう妄想と聯想は僕の視覚を覆い隠すのに丁度良かった。少なくとも物心ついた頃からこの悪癖に救われてきたし、今も尚カリガリ博士のフランシスの様でなければ僕と正気とは無縁だったに違いない。僕は何かから目を逸らすようにそんなことばかり妄想しながら往来へ流れていった。
建ち並ぶビルディングと広告のノイズは何れも僕に不愉快だった。僕はこの街のーーミニチュアの都会紛いの過去を妄想した。モダン建築以前の木造建築を、和装を、風俗を、嘗ての日本を想い描いていた。そうして何かに反抗的精神を向ける事はいつも僕の神経を正常に保った。そして僕自身の思想の偏りを、自意識を、自尊心を分析し始めた。そしていつかそれらがいつ萌え初めーーそしてそれらがいつ根を張り僕自身を縛り付けていったかを思い返していた。過去には何一ついい事がなかったため、僕は未来に救いを求めた。しかし未来は過去ほど明るく残酷に事象を写しはしなかったものの、どこか暗がりの中に針を、棘を具えていた。就中現在は整合性も調和も喪っていた。
僕は何時しか或知人に紹介されたカッフェの扉を開けていた。人を心から嫌い何時も静寂を求める僕にはこのカッフェが特に気に入るものだった。店内には燭台に蝋燭が二本灯っているだけで、窓さえもなく光はそれらが唯一だった。僕はウォールナットの椅子に腰掛け注文したエスプレッソを待っていた。僕以外には暗がりの中に店主以外客もいないらしかった。僕はこの店をどこかフィルム映画の様に観察していた。蝋燭の淡い琥珀色の光と漆黒の調和はどれも僕に愉快だった。
僕はテーブルに置かれたエスプレッソの香りを、味を楽しんだ。鎮痛剤と言う名目で相当の値段である珈琲を嚥み、僕は頭痛の収まる事を期待した。しかし、存外この現状、現実は僕の心に穏やかな印象を与え、何時しか頭痛さえ取り払ってしまった。僕は痛みを抱えていない事に何処かある種のコンプレックスを感じ、僕自身の感じた矛盾を冷笑しない訳にはいかなかった。正常の状態であるならば、何かに対しての言い訳すら出来ないと心の何処かで感じた。
鼻腔に残ったエスプレッソの香りを楽しみながら僕は自宅の扉を開けた。家族は帰って来ていないらしく、それが僕を少し安心させた。僕は身支度を済ませさっさと床に臥した。眠る時にも僕は暗がりの中に生命の死を、自我の消失を、神経を、電気信号を、血液をーー殊に死に対する強烈な不安と恐怖が見え隠れした。みんなどうやって約束された死と向き合っているのだろう?人生が丁度死刑執行を待つ死刑囚のモラトリアムに過ぎないのなら、或いはそれに等しいと感じるなら、その事実を何故見ないでいられるのだろう?僕は幼稚園に居た頃、自分にしか自我を、意識を感じることができないならば他人にも自我と意識が存在するという証明は僕自身には絶対出来ないと考えていた。畢竟、僕以外の人間は機械のようなもので、外界の事象に反応する傀儡なのではないかーーそんな事ばかり考えていたが、そんな考えを誰にも伝えられないし伝える意味もない。こういうズレはいつも僕の神経を脆弱にさせた。
泥に沈む舟の様に僕の意識は眠りへ落ちていった。僕は霞みゆく意識の中で、二度と目の覚めないことを、仮に目が覚めたとしても遍く全てのなくなっていることを願わずにはいられなかった。
終わりです。お疲れ様でしたと言いたいところだが、これはどちらかというと僕に課せられた無意味な苦行ではないか?得たものと言えば、僕はどうやら芥川龍之介に、とりわけ『歯車』にエグいくらい影響されているということくらいだ。僕は以前なろう系小説批判記事で、"こんなのは涼宮ハルヒの憂鬱とゼロの使い魔を足して超絶劣化させた何か"みたいな評価を下したが、このクソデカブーメランは見事僕のドタマに突き刺さったのだ!笑うがいいさ、いっそ笑いたまえ。言うならば僕のこの駄文は"芥川大好き小説家気取りのクソガキが書いた便所の落書き以下のクソ溜め"だ。確かにわかった、創作の上で何かに影響されないのは不可能だ。理解したよ。何故なら創作意欲の根源に作品と作者への陶酔と憧憬があるからだ。僕の作った曲は"DIR EN GREYと平沢進を混ぜて汎ゆる魅力を削ぎ落とした雑音"だし。前述した創作の事を僕は僕自身の手で了解したし、証明も出来たと想う。ところでものすごい文章が長くなってるのは物を書いた余韻。助けてください。
さて、汎ゆる創作が痛ましいほどに作者の次第を映すということは証明できた。だから僕があのなろう系小説に対して「あんなもんはハルヒとゼロ魔のパクリでそれ以下だ」みたいな上訴は棄却される。僕のこの駄文は明らかにあのなろう系小説以下だし、絶対に読者数で勝るころはない。いいねもふぁぼも付かなければ閲覧数でも負けるだろう。
僕は音痴が歌うたいの歌を批判することを悪いと思ったことがない。同時に運動音痴がバッターのストライクに文句をつけてもいいと思ってる。何故なら観客聴衆観衆に必須とされる感性も技量も必要ないからだ。同時にそれらのプロもそう想う……っていうか想っていてほしい。だから僕がこんなことをする意味も意義もないが、無職なのでやった。暇だし。確かに創作は大変で粗を探せばいくらでも見つかるものだ。それが素人なら尚更だろう。けれどだからこそ僕は森林に萌える新芽を愛したいと想う。きっとその草花がいつか林に、森になるのだから。なんかいい感じに〆たつもりかもしれんが僕はファットマンとリトルボーイもビビってクソ漏らすほどの核爆弾を生んだ事実からは逃れられず、そしてまた今日は眠れないだろう。僕からは……ああ、以上です。
2017年10月27日金曜日
【雑筆】苦行紹介します
時に人は様々な理由であえて苦行に身を投じるのです。そんな苦行の中でも僕が体験したオススメの苦行を紹介します。様々な苦行を通じてあなた自身の基準を下げ、免疫を携え、人間としての幅を持てるよう祈ってます。本当はそんなに祈ってないです。
『デビルマソ』はデビルマンを実写化した映画。前に感想を記事にしましたのでそちらも参考に。制作費10億円からは想像もできない悪魔的クソ演技、クソ棒読み、クソ展開、クソ脚本と……とにかく酷い映画だ。つまらない映画は?と訊かれたら僕は真っ先にデビルマソと答えるでしょう。この映画を観ることで映画製作の大変さ、普通の映画の有り難さを知れます。でも事ある毎にこの映画のクソ演技がフラッシュバックしてきて(髪を洗っているときなど)僕自身今もなお苦しみに苛まれてはいます。
なろう系小説
『小説家になろう』という小説投稿サイト。そのサイトで人気の作品を漁るという苦行です。かつてその感想を記事にしたのでそちらもどうぞ。とにかくくっさいくっさい言い回し、ラノベのテンプレ主人公(ダルそう、ハルヒのキョン)、ハーレム、言葉の誤用、退屈でしょうもない展開などなど。素人とはいえここまでかと思うほどにはひどい小説が山のように存在します。どれもひと昔前のラノベをなぞって劣化させたものばかりなので涼宮ハルヒの憂鬱やゼロの使い魔などを読んでいた人には特にオススメ!これらを読むことで小説を書くことの大変さ、オタクのカルマ、作者の叶わぬ願望を嫌というほど思い知れます。でも僕のこのブログも正直大差ないと思って数日は病気になりました。
ヒカキンキッズの動画
ヒカキンと言えば今や知らない人はいないはず。所謂Youtuberのトップに君臨する王ですね。ボイスパーカッションから始まり商品レビュー、実験、ゲーム実況など幅広く活動しています。そんな彼に憧れたキッズの投稿している動画が地獄です。
例えば食い物、飲み物をレビューすればあまりに拙い日本語、ゲロつまらんボケ、下水道以下のボイパなどなど。死より恐ろしい地獄の数々がお目見えします。お前も似たようなことやってたろという声は無視します。
……本当は子どものやることなので僕自身は微笑ましいくらいなんです。どちらかと言えばおっさんの10再生程度の動画を観るほうが苦行なんですがそれはもう苦行ではなく拷問なので決して探してはいけませんよ。ゲロつまらん動画を観ることで動画制作の大変さ、動画投稿者として必要なもの、ストレスフリーな動画の有り難さを知れます。でも別に知らなくていいと思います。
嘘松
嘘松とは、Twitterで面白可笑しい嘘八百を並べそれらを恰も事実かのように語る妖怪である。特にそういう人間のアイコンがおそ松さんのキャラクターであることが多いのでこういったあだ名が付いたわけです。もともと腐女子特有の言い回し、表現方法というものでもだいぶキツイのに、嘘松はさらにそれが嘘であり事実かのように語っているので本当にタチが悪いです。僕はネコです。すみません今の。
嘘松で調べればいくらでも出てきます。ネットでの反応が欲しくて嘘までつく女というのはどうも……見ててつらいものがあります。ダンテを連れてウェルギリウスが日本に来たらこいつらを紹介するんじゃないか?ところでネットでの反応欲しさに……といえば僕は女装写真を投下することがありますね。僕もまた同じ地獄に落ちた哀れな影法師に過ぎない!ア!
クソゲー
AVGNや有野課長が遊ぶレトロゲームには数多のクソゲーが存在します。クソ難易度、クソ操作性、クソバグ……クソゲーたる所以は様々。コンボイの謎やたけしの挑戦状、いっきあたりが有名ですかね。とはいえこれらは数十年前のファミコンやNESゲームの話。制作費も今ほどかかってないのでマシと言えます。けれども畢竟今の時代でもクソゲーは存在します。あえて名前は出しませんがかなりの制作費をかけてかなりのグラフィックでかなりのクソが生まれたのですから8bitのそれとは比べ物にならん悲しさがありますよね。所謂クソゲーを遊ぶことでゲーム制作の大変さ、普通のゲームの有り難さ、神ゲーの神ゲーたる所以を知ることが出来ます。僕は発売日にエルシャダイを買いましたが定価ほどの価値はなかったと感じました。
今回はこんな感じです。出所した日に食べる塩辛く脂っこいものがめちゃくちゃ美味いように、クソを体感したあとのどんな体験も黄金体験となるのです。それだけでなく、作品というものの反面教師たりえるクソもあり教訓としても役立つ。こんなにいいことはありません。ネット社会の今、インターネットで地獄をググり、その肥えた目を潰してみてはいかがでしょうか。でも、普通に面白い作品に触れて美味しいもの食べて生きたほうが幸せだと思います。僕からは以上。
2017年10月17日火曜日
【書評?】なろう系というのを読んだ
が、実際このサイトの作品がアニメ化したり漫画化したり、評価の果てに日の目を見ることはあるようだ。ランキング上位の作品は聞いたことのある作品もある。誰でも夢に向かって小説を投稿できる素晴らしいサイトだ。
さて、きっかけさえなければ僕は絶対わざわざ
ついさっきフォロワーがこのサイトでひとつの作品を読んでいたので僕も便乗してみることにしたのだ。なぜかわからないが僕は絞首台を登る死刑囚のような気分でリンクを踏んだ。作品の名前は伏せておく。僕のツイートを探るか、当サイトのランキング一位の作品を見ればだいたいわかるだろう。ほら、ありがちなやたら長いタイトル、異世界がどうこう、孤児院がどうとか書いてあったかな?思い出すと意識が朦朧としてきてならない。脳が自分を守ろうとしてるんだ。記憶を封印しようと……。いややっぱり掲載しよう、いい作品は共有しなくちゃな。興味あるだろ?
異世界で孤児院を開いたけど、なぜか誰一人巣立とうとしない件
読み始めるともうそれはそれはダンテの見た地獄を遥かに凌駕する懲罰の応酬だ。息子を人質に取られた父親よりつらい心境だ。主人公はハルヒのキョンから魅力を一切削ぎ落とした何か。ただダルそうで無気力で何の努力もなしに何故か無敵級でモテまくる。女の子の頭を撫でたりもする。きも!ToHeartのマルチを思い出す。ところでマルチはかわいい。女の子が擦り寄ってくるとやれやれ……やれやれじゃねぇよって3万兆回ぐらい思う。インポなのか?絶対作者の理想の主人公だろ、そして作者自身との乖離甚だしいだろ。ちょっと語気を荒げて失敬。
主人公はこういういわゆるテンプレであるようだ。一時期ツンデレというなの暴力女がヒロインを務め尽くした時期があったろ?主人公も何故かハルヒのキョンかそれ以下かクソ以下の主人公足り得る魅力もない立て札みたいなもんだ。とにかくテンプレ通りなんだ。
異世界に呼び出された主人公……待て、それはゼロの使い魔と同じ導入じゃないか。何を隠そうこれはいわゆる異世界モノっていうカテゴリらしい。それに加えて無気力なのに異世界転生で無双して女にモテまくる魅力のない主人公もおまけでついてくる。それもうハルヒとゼロ魔読めばいいじゃん……。
異世界では何故か女にモテまくり謎の能力が覚醒し無双し上の立場の人間をボコボコにする。キモいくどい臭い言動仕草文章、ドグラ・マグラを読んでるときよりも当惑した。言葉の誤用なんかかわいいもんだ、マジでモテない努力しないしょうもないオタクの叶わない妄想をそのまま文章にしたような内容。しかも文章力も皆無なのでゲロつまらない。僕はこの苦痛を何かと重ねていた。デビルマソだ……。とにかく"わざとやってんの?"ってぐらいつまらない。逆にこれこういうテンプレ作品への風刺なんじゃ?とかわけのわからないことまで考えてしまう、それくらいには脳が狂う。
結局僕はこれを読破することはできなかった。フォロワーは読破したみたいだが、感想は察するに余りあるものだったし、自ら毒を飲む彼は狂人か?という評価さえ下された。
でも、侮蔑する前に僕はひとつ考えさせられたことがある。例えば僕らがアフリカに旅行して、グロい虫を喰う原住民を見て侮蔑し卑下するだろうか。彼らには彼らの文化があり、習わしがあり、世界がある。それは他人がとやかく言えるものじゃあないんじゃないかな。少なくとも僕にはこれが合わなくても、好き好んでる人がいるのならその口を噤んでおくわけにはいかないか。ただ一言、「僕には合わなかったけど、これが好きな人もいるんだね」と言い残しその場を去るわけにはいかないか。口をつぐむわけにはいかないか。絵本を読んで"これには文学的な価値がない!"なんて思わないだろ?子供向けで、しかもそれは絵本として優れてる。そしてこれはオタク向けで、しかもそれはラノベとして優れてる。
…………少し経ってからこれが書籍化したと聞いていよいよ僕は限界を迎えた。デデドン!(絶望)
【雑筆】目標を立てるメリット、デメリット
- モチベーション増長 ー 明確な目標を立てればモチベーションが上がる
- 周りが応援してくれる ー 少年ジャンプ理論です
- 達成すれば自信に繋がる ー だから俺には自信がない
- 目的を達成しやすくなる ー 当たり前だよなぁ?
- 柔軟性を失う ー 他にやりたいことがあっても目に入らなくなる
- 目的を誤りやすい ー 本当にその目標が正しいか?もっと上を目指せるのでは
- 過程を軽視する ー 前述の通り過程を明確にしないと目的を達成できない
2017年10月14日土曜日
【雑筆】無宗教~無神論者とは?
つまり神がー!イエスがー!ヤハウェがー!アッラーがー!というふうに神を崇めることが宗教とは言えないのです。日本では教義をまとめて『道徳』と呼んでしまってますから、どうにもピンと来ないでしょうが、日本でも宗教に基づいた儀礼は数多くありますよね。あるよな?ある。
例えば神社のお祭り、初詣、節分は神道の行事です。これらは割と古来から行われてきました。クリスマスはキリスト教ですね、もはやカップルがイチャつくためだけにありますが……。ちなみにハロウィンはケルト人の行事です。今じゃ馬鹿が馬鹿みたいな格好で馬鹿騒ぎする日本三大害悪イベントと成り果てましたが。葬儀は仏教っぽかったりキリスト教っぽかったり割と様々。こう見ると日本はカオスでエントロピー高めですなあ。
少し前の話に戻りますよ、無神論者とは神の存在を信じない人のことですが、果たして彼らは墓石を蹴っ飛ばしお守りを焼くことができるでしょうか?僕は多くの人がそうできないと予想しています。何故なら宗教的意味合いを持つものには聖なる力が宿っているから、不道徳な行いにより罰せられると考えるから。僕も無神論者気取りでニヒルな無職ですが、そういうことはしないししたいとも思いません。神がいるとは思わないけど、バチが当たると思うのはやっぱりなんらか神か神のようななにかを漠然と信じているからなのではないでしょうか。
……日本は日本風ラーメンやピザ、パスタなど海外の面白いものはなんでもジャパニライズし日本人好みのアレンジで楽しむ文化があります。宗教的な行事や宗教的な道徳、倫理観も歴史のうちに輸入されアレンジされ今にもこうして我々の前に残っているのです。あまり熱心な信者なんてアレとかアレの信者でもない限りまぁそういない日本ですが、やはり根本には宗教的な観点が根付いてることを否定出来ないのではないかというそういった記事でした。開幕のディスは少しよくなかったと俺、反省。僕からは以上
2017年10月10日火曜日
【雑筆】風邪ひいてみた~中2ノート話
2017年10月9日月曜日
【雑筆】主人公の条件
完璧超人の主人公がハーレムを築き強大な敵の前にひれ伏したかと思えば窮地に謎の力に目覚め眼前の敵を討ち滅ぼす作品を3万兆回は観た気がします。とはいえそれらは畢竟一昔前のオタク向けアニメに散見されたものに過ぎませんが。
物語には主人公が付きものです。稀に主人公の存在しない作品もありますが、おおよその主人公は存在し、その主人公と物語が作品を……なにするんだ?なんかうまい表現が思いつかないので各自で適当に補完してください。わかったか。
さてさて、僕は無職に加えプライムビデオ見放題という神も妬む境遇なので様々な作品に触れ、そのたびに主人公を目にします。まるで人間離れしたキリストが如く清廉潔白、才色兼備の主人公もいる。はたまた現代日本人のように意志薄弱、無知蒙昧の主人公もいる。これ僕のことだな。しかもモブキャラだし。
今2つの主人公を挙げましたが、貴様らはどちらの主人公に共感できますか?僕は断然後者です。エヴァのシンジくんとかでしょうかね、優柔不断で英雄的ではない。僕の思うところではエヴァが流行り今なお語り継がれる一つの理由として各々のキャラクターが人間的に弱く、シンジくんもその例に漏れないことがリアルだからだと思うのです。どうしても創作上のキャラクターは空想の上で強く逞しく人々の見本であるが如く描かれるのに対し、現実の人間は脆弱で薄弱である事実は何者にも払拭出来かねる事実。僕は今この事実に今回のタイトルである主人公の条件をぺしってやりたいと思います。どういうことですか?
僕はバットマンが好きです。彼は所謂ヒーローですが、普通の人間です。科学と人間的な力のみで強大な悪に立ち向かい、ある種ヒーローを演じながらもそのヒーロー像そのものをゴッサムシティ(物語の舞台)の光と、シンボルとして光臨させたのです。ですが、当然一人の人間として悩み、苦しみ、バットマンであるが以前の自分と、正義と向き合います。そんなバットマンが僕は好きです。
なんでこんなことを言うかっていうと、人間としての弱さがある主人公は、人間としての強さがその弱さによって際立つと思うから。そしてその魅力的なキャラクターはしばしば読者に勇気を与えるのです。これが、これこそが主人公の条件なのだ。いや別に条件ではないわ。僕の好みってことね。
僕の好きな主人公を紹介しよう!
漫画から、ベルセルクのガッツ!暴虐無道かと思いきや結構優しい、トラウマを抱える主人公。憧れるね。
海外ドラマから、MR.ROBOTのエリオット!モルヒネ依存症、複合的な分裂性精神疾患。天才的なハッカー。こういう光と影が人間らしいのです。
戯曲から、ハムレット!解釈によっては重大な強迫性人格障害、脆弱な精神ながらも力強い意志は人間的に病的な魅力を持っています。
映画から、ロボコップ!機械なのか人間なのか、苦悩しながらも自らの正義のために市民を守り抜く姿は僕のヒーローです。
……こんな感じでいくつか羅列してみました。人ってのは強さと弱さを兼ね備えているものですから、やっぱ主人公って完璧超人よりも弱みがあったら魅力的なんじゃね?ってことを伝えたいだけの冗長記事でした。ヒーローはヒーローである以前に人間なのだから、リアリティは共感をもたらすために必要ですよね。そんなこんなで今回はここまで。僕からは以上!
【書評】君主論【ニッコロ・マキャヴェッリ】
【作者:ニッコロ・マキャヴェッリ】
アサシンクリード2の人やん!
……と思う人も少なからずいるだろうマキャベリズムの語源にもなったニッコロ・マキャヴェッリの『君主論』。
時代はルネッサンスですから、特にギリシア、ローマの歴史を例に挙げ、君主ってのはこうあるべきなんじゃないの?過去はこうだったんだから、今の時代はこうして、こうして……みたいなテンションです。まぁメディチ家にはガン無視されたみたいですが。
さて、ここまでどうにも小難しそうな本という印象を与えてしまってますが、僕は本書を現代人が読むこと、こちら頻繁にオススメしたいと思っています。どういうことですか?
君主というのは一国の主ですから、当然DIOに匹敵するカリスマやリーダーシップが求められますね?
そして経営学ではリーダーシップ・マネジメントとして上に立つものの心得を説く学問が存在しますね?
もうおわかりですね?
『君主論』とはリーダーシップを学ぶうえで最適……いや別に最適ではないわ。つ、つまりけっこう役立つ本なのです!どういうことですか?
前述したマキャベリズム。マキャベリズムとは、要は感情論を排除した目的達成を第一とした思想です。僕は毎日だらだらするためなら家族の痛みも厭わないですよね。俺ホント死んだほうがいいな。出世のためなら他人を蹴落としてもかまわない。そういった思想です。
本書でもこのマキャベリズムが遺憾なく発揮されています。何かを得るためには時に感情論ではなく極めて論理的に、数学的に目的へ向かっていくべきだということ。本書では小国が生き残るためにはどうすれば……みたいな勢いでこう語られています。こういうのはベンチャー企業とかに適用されるべき思想なんじゃね?知らんよ、無職だし。
と、こんな感じで国=企業などの集団。君主=リーダー、トップにように置き換えて考えると現代でも簡単に通用する思想、思考法がドバドバ書かれているのです。上を目指したい、上司を蹴落としたい、社長の粗探しをしたい……そんな貴方には特におすすめです。貴方!読んでみてください。けっこう薄いのでさくっと読めます。僕からは以上!
(酩酊時に勢いで書いた記事なので未来の僕がブラッシュアップしてくれると思います)
2017年9月30日土曜日
【雑筆】雑筆の次第とSNS
芥川龍之介を始め作家というものには作品が、小説が、戯作が存在します。何度も何度も推敲し反芻し言葉の一つ一つにまで拘った作品。けれど彼らのうちには少なからず『雑筆』と呼ばれるものが存在します。
【雑筆】………種々多様でとりとめもない手記、文章。
今貴様らがたが読んでるこれのことですな。このしょうもない文章を御覧なさい、こんなものはチラシの裏にでも書くべきだ。便所の落書きだ!でも本当に便所の落書きだとしたら、本当に無意味なものならば、何故Facebookを始めとしたSNSが流行るのでしょう?
僕はこの謎を解くためにツイッターを始めました。嘘です。けれど長くSNSを使っていると少しずつわかりかけてきました。本当です。フォローした人が好き勝手にしょうもないことやとりとめもないことを呟いているそれこそがツイッターの本質。Facebookは日記のようなものですが……ある意味でとりとめもない。それには変わりありません。
僕は雑筆を庭先の猫と捉え了解しています。対して大作、作品は……なんだろう、動物園の獅子とか。例えの才能がない。
要は雑筆は僕らにとっても身近なモノなのです。僕は芥川龍之介が大好きなのでもっと彼を知りたく成ります。作品から推し量ることも可能ですが、彼の雑筆、日記、手記などから読み取るほうが簡単で正確です。彼の人となり、人間性が見えるのです。地獄変のように神々しくもないそれがどうにも猫のように愛おしいのです。愛おしいよな?愛おしい。愛おしいと言え。
SNSはどうでしょう?古くはmixi、モバゲー、今やツイッター、Facebook。これらが雑筆とするならば、作品は投稿サイトでしょうか。作品は作家から生まれますが、作家は作家である以前に生活者。ある意味で生生しく平凡で質素な生活があります。そんな生活者、一人間が垣間見える雑筆が僕は好きなのです。
……さっきSNSは雑筆のようにしょうもない文章を人が求めているから成り立つみたいな言い方をしましたが今思えばみんながみんな平等に持ちうる自己顕示欲の連鎖がそれを成り立たせてるんじゃねぇかと今思いました。そしてそれによって僕のこの記事は意味を失い死にました。雑筆以下の雑筆、クソ以下のクソは僕というクソから生まれたのだった。僕からは以上。
2017年9月29日金曜日
【雑筆】無職とファッションの話をしよう
僕は古着屋とユニクロのダブルパンチの激安ファッションです。髪はずうっと美容院で、靴はそこそこ高いものですが。たまに古着屋は……なんて言う人がいますが、僕は言ってやりたい。そいつはすげぇやってな。
なかなか本題に入りませんね。本題は『せめて格好くらいは好印象に保とう』です。ずいぶん強引な持って行き方だな。僕は前述の通り履歴書に書くことがない人生ですが、だからと言ってダサい格好をしていい理由はありません。僕も嫌ですし、隣を歩く人、僕を見る人も嫌でしょうから。
が、何故か巷にはお前嘘だろ?というような格好の人がいます。"センスいいと思ってるかもしれないけどそれダサいよ系"と、"そもそも興味がないからお母さんに買ってきてもらってる系"のふたつ。大体はね。前者はまだ結果はどうあれポジティブですから問題ないです。失敗してるかもしれませんが挑戦してますから。けれど後者はいけません。格好に気を遣わないということは自分を客観視して評価出来ていないということになるし、なにより格好で"私はダサいです"と言ってしまっているのです。これでは損ですよね。そういう人に限って「俺は顔が悪いから…」とかいう言い訳以下の言い訳をしてきます。ネガティブなうえ自己評価も低くさらにダサいんじゃあ大損ですわ。
僕の啓蒙したいことはつまりせめていい格好くらいはしとけば得だよねってことです。たとえば僕は痛々しい人種なのでゲームや映画、ドラマからファッションの影響を受けてます。Watch dogsとかアサシンクリードとか。映画は禁酒法時代の映画に影響を受けてますな、アジア人の若造なので似合わないけど。
色はどうでしょう、オタクと言えばオタクブラック……すなわち黒です。黒は孤立、プライドなどを印象づけます。黒は赤や青などと組み合わせるといい感じですね、黄色と合わせればDIOです。オタク的見た目に黒が合わさり最強に見えますが、これはもう破滅的にダサいので個人的には逮捕してほしいくらい。白や青、赤などで清涼感を見せつけていこう。誰に?
そんなわけで無職とファッションのコーナーでした。ていうかお前そもそも女装だろみたいな声は無視しつつ、せっかくならいい格好して得をしようって話……まぁマネキンと同じ格好にしても、雑誌そのままの格好しても似合わなかったりしますけどね。結局は顔なんだよ。神は死んだ!僕からは以上!
2017年9月26日火曜日
【雑筆】ブログタイトルを考えるとか
このブログはもはや意識高い系読書感想文ではない!意識高い系読書感想文は死んだんだ。浄化の炎に焼かれ天に召されたんだ。というかただ単純に本のレビューだけじゃ行き詰まるのでそれいがいのこともやりたい、けれどこのタイトルが足を引っ張る、だから変えたいっていうそういったわけです。全面的に俺の不手際!
サスペンスモノのタイトルで「○○」といったようなむつかしい単語でバシっと決まったものがあったりします。これはなんかかっこいいですね。でもブログタイトルにしてはカッコつけ過ぎな気がする。却下。
ラノベやドラマのタイトルで「~が○○してどうしたこうしたでなんだ」みたいなクソだっせぇ身の毛もよだつ薄ら寒い最低のタイトルがあります。これはもうクソ未満のクソだ、クソから生まれたクソだ、この星のものじゃない。人類史上の汚点だね。タイトルってのは短くその作品を表しまたインパクトがなければいけません。「罪と罰」、「或阿呆の一生」、「ゴッド・ファーザー」、「成金」…………おお、ブラボー……。象徴的で美しい。ここがダラダラダラダラダラダラダラダラ冗長だと誰かとそのことを話す時タイトルが足を引っ張って無意識に脳がその話を好まなくなる。略してもいいですがそれなら最初から短いほうがいいです。僕はこの"長いタイトル"というものは頭が悪い人に向けられたありがたい手ほどきだと思ってます。長いタイトルで説明しないとどんな作品なのかわかってもらえないから、わからないから、だんだんタイトルが長くなる。そして僕の記事もこうして長くなる。クソが!なんだっけ、却下。
英語タイトルは?中1の頃書いてたFC2ブログを思い出すので却下。
ドイツ語タイトル?もう痛々しさの権化だろ却下。
僕の好きな本に三島由紀夫の「不道徳教育講座」があります。タイトルも含めて好きです何故ならば!教育講座なのに不道徳。一見どういうことだ?と。そして目次であら納得。刺激的な講義内容がびっちりです。こういうのがいいんだよこういうのが。意識高い系読書感想文もそう悪くは……いや悪いか?そこそこだな。共通点がわかるか?どちらも(単語)+(単語)だ。これはいい。そんなに気取ってもないしわかりにくいってわけでもない。
ていうか決まらないまま0時過ぎちゃいました。もう寝て起きたら考えます。僕からは以上!あったかくして寝ろよ~~~~
2017年9月24日日曜日
【雑筆】テレビつまらんとか
少し前はとりあえずテレビつまらんとか観てないって言っておけばなんか少しかっこよく見えたりしたものですが、今はもう誰がどう観てもつまらないし誰も彼もそれに気づいてるのでこの手法は廃れました。盛者必衰です。テレビもそうです。
というのも、夕飯時は家族の会話が皆無のお通夜なのでうちではテレビをつけてます。けど、いつつけても海外びっくり動画垂れ流し、動物動画垂れ流し(身の毛もよだつ吹き替えつき)、日本賛美外国人番組(皮肉も翻訳で賛美に変えるぞ!)、ラノベばりにタイトル長いワーギャー喚くドラマ、安倍朝鮮ニュース。もはやデビルマソだ。
テレビはコンプライアンス(規制)、BPO(放送倫理・番組向上機構)によるヤスリがけ、視聴者様からの要望などなど。どうにか反感を買わず誰が観ても不快にならずのっぺりとした退屈な番組を作らざるをえない状況なのです。昔はおっぱいとかぺろーんって出してましたし、過激なこともたくさんやってました。別にそれがいいと思うわけじゃありませんが。
プライムビデオオリジナル作品のドキュメンタル、AbemaTVの日村がゆくなどを観てるとあまりに面白いんでやっぱテレビってゴミだわと思います。春日の包皮の中におもちゃ入れて自然に出てくるのを眺めたり、日村がすぐ全裸になったりローション特集したりオネェのガチ情報流してみたり。まぁこれはテレビじゃ無理だなと観てて思いますが、多分それが同時にテレビの限界なんでしょう。
視聴者が馬鹿ってのも在ると思います。全員が全員面白いと感じる番組を作るのは不可能ですが、多数派のアホ向けに作らなければ話題性もクソもありません。クソですが、F1層に媚びる以外に手段はないのです。それだけが縋れる蜘蛛の糸なのだから。千切れますけど。
そんなわけで、テレビがつまらないと感じるのと実際つまらないのには理由があります。ネットの影響がどうこうなんて言う人もいますが、莫大な制作費と放送権という最強のカードを持ってて利用もせず目の敵にしてる限り泥濘から抜け出すことはできないのです。おっぱい出せばいいのに。
そんなわけで今回は以上です。ほぼテレビへの不満と動物吹き替えへの嫌悪記事でした。アベマとかプライムビデオは普通にけっこう面白いです。よかったら是非。僕からは以上!
2017年9月23日土曜日
【雑筆】デビルマン~エピローグ~
デビルマソを観た後、何作かあるデビルマンのOVAを観ました。神作画だったり神演技だったりでもうそれは最高でした。デビルマンって本当最高ですね。デビルマソを観た後はなんらかの形でいいデビルマンを観ないとデビルマンそのものに失礼なんじゃないかとすら思います。
それくらいデビルマソは冒涜的ゴミでした。クソです。デビルマンOVA、ならびに地上波アニメ、漫画はどれもデビルマンを愛しどうにかその世界観、素晴らしさを表現しようとしていることが観ていてわかります。愛です。
けれどデビルマソはそもそもスタッフ全員のやる気がなかったこと、監督や東映の癒着、撮影班全員スベるとわかってたなどの裏話を聞くと更に怒りの炎、こちら業火となりて……。
実写化にしろ再アニメ化、など原作ありきのものはやはり愛なくしてなりえないと思うのです。原作とは違うけど、原作のこのニュアンスを重点してみました!とか、ちょっとニュアンスを変えて別視点で描いてみました!とか、大いに結構。ファンが多少文句を言ったっていいんです。その作品を知らなかった人が楽しんでればきっと御の字なのです。
本当の悲劇はこのクソ映画だ。やはり腹の虫が収まらねぇ!俺が許してもこのキーボードが許すかな!マジで予算の10億はどこに消えたんだ?監督のビールに消えたんじゃねぇのか?CGで10億使ったからこんな出来になりましたならまぁわかる。けれどそれじゃあのクソ脚本に納得がいかねぇよなぁ!脚本がよかったとしてもあの主演を抜擢したのは何故だ?!なぜ演技指導をしなかった?!言い訳のしようがない絶望的クソ液バターのオンパレードだ!自殺志願者は死ぬ前にこの映画を観るべきだ、今から墜ちる地獄がそこに広がってんだからな!悪魔的クソ映画だ!サタンも泣き出すぜ!イエスですら石を投げるだろう。
脚本をよくしても演技がゴミだから意味が無いんだ。演技をよくしても脚本がゴミだから意味が無いんだ。もうとにかく全面的にどの角度から見てもクソだから手の施しようがないんだよ!今日はこのくらいにしとくか!がっでむ!
OVAの出来は素晴らしいものでした。シレーヌ戦を長く濃密に描き、明の描写変化(人間の時はジブリレベルの優しいタッチ、デビルマンとなったら別人がごとく顔)、アモンを中心に据えた意欲作。どれもデビルマンの名を冠すに相応しい作品で俺の中に芽生えた烈火の怒りを見事に鎮めてくれた。そして他のデビルマン作品に触れれば触れるほど思い知らされる。これはゴミで、デビルマンの名を冠すことすら犯罪的で、この作品が誕生してしまった全ての事柄、事象を僕は呪い続けるだろう。
本当はデビルマンってどんなものなんだろう?って興味を持った方は、OVARIESやアニメ版、原作他漫画版をお楽しみください!
えっと、今回はそんだけです。僕からは以上
【雑筆】ガチャといふもの
本当にあった実験かどうかなんて知ったことではないのですが、人間と遺伝子的にかなり近い猿でも賭博というものに狂うほどの射幸心はあるということです。
けど、人間には理性や抑制性がありますから、賭博で散財なんてするはずがありませんよね。だってそれじゃ猿かそれ以下の知能しかない単細胞生物に過ぎんのですから。
言葉の節々に無職の棘があるのは僕が経営学部出身でガチャ商法というものを心から軽蔑し侮蔑しここで侮辱したいからです。日本人は世界的に見ても(意識高い系が好むワードで、日本を下げるか海外を上げる時に使う)ソーシャルゲームへの課金額が極めて高い……どころかぶっちぎりです。
課金するのは例えば魔法石だとかなんだとか、そういう"ゲームを有利に進められるモノ"です。これを消費することでガチャガチャ中毒者が一喜一憂したり、スタミナ(クールタイムのようなもので、これがあると連続で何時間もプレイできない)を回復したり……他にも色々と使えるソーシャルゲームの核足り得る概念です。
では、ガチャで得られるキャラクターをとびっきりかわいく、或いはかっこよく、或いはセクシーに、或いは……このように他に大した趣味もないようなオタクが好むキャラクターを無尽蔵に生成しましょう。イラストはイラストレーターに丸投げ。名前?神話とか偉人から取ればいいでしょ。
まだ魅力が弱いな。そうだ、原作を用意しよう。昔からあるゲーム、漫画、アニメ、なんでもいい。世界観なんかなぞる程度で、とにかく集客するんだ。ソーシャル(社会的)ゲームなんだから、とにかくツイッターなどのSNSで拡散されるようにビッグタイトルを使おう。
家畜の肉を切り捌いた屑肉で儲けたら、今度はメディア進出だ。アニメ?漫画?なんでもいい。とにかく膨大に、巨大に、長く、オタクから毟れるだけ毟るんだ。他に趣味もないんだから。せかせか働いて電車で死んだ目をスマホに向けて課金、課金だ。俺達はたまに会議でもして、ビールでも飲もうか。
……商売というのは難しいものです。物を売って利益を得るためにはどうすればいいか、世界中で議論され論議されています。法の壁や騙されてくれない顧客もあって、簡単ではないのです。でもどうでしょう、この国ではガシャポンが溢れ抽選がありおみくじ、お祭りでは景品で釣るくじもあります。ああ、北朝鮮の軍資金をバンバン送り続けるパチンコやスロットもありましたね。海外では違法に成り得ることも日本ではやりほうだいなので、こうやって簡単な算数以下の数式でオタクから搾取出来るのです。
なんでこんなことを書くのかというと、僕のガチャというものへの嫌悪が愈限界に近づいてきたからです。賭博には中毒性があります。マリファナも、LSDも。麻薬の売人は許せませんよね?人を中毒状態にし、支配し、魅了することで搾取するのですから。僕はそれと同じ論理でガチャを侮蔑し侮辱し軽蔑し冒涜します。
では"確率でアイテムが手に入るゲーム"は?僕の大好きなゲーム、モンスターハンターは、モンスターを狩り、手に入れた素材で武具を作ります。その素材の中にはレア素材というものがあり、他の素材と同じく確率で手に入ります。お前も似たようなことやってんじゃん!と思われるかもしれませんが、違います。「素材」とう目的を達成するために、「ゲームをプレイ」します。これには時間がかかるし、成功したり失敗したりもします。ガチャは、「キャラクターを入手」するために、「金」を払います。違いがわかりますか?前者が素材だけが目的に見えますが、どちらかといえば過程に楽しみがあります。ゲームですから、当然ですね。けれど後者にはプロセスがありません。過程は金ですっ飛ばしてます。ジョジョのラスボスみたいですね。けれどこんなものが「ゲーム」を名乗ってるのだから、ゲームの進化とともに育ってきた僕には耐え難い屈辱です。こんなものはサタンでも遊ばないだろう、たとえこの身を捧げようとも。
別にわかってほしかったわけではないですが、わかっていただけたでしょうか?僕のガチャを憎む理由と意味と意義を。最近でもガワとシステムを変えただけのパズドラシステムゲームが無限に乱立してて驚きました。そしてオタクが寄ってたかって楽しんでるのを見て更に驚きました。そして何も楽しめない自分を見て更に驚きました。
こんな文章はバッファローのクソにも満たないクソです。自虐で〆てしまったのでちょっと落ち込んでます。でも何故、何故人は無料ソシャゲの根本が中毒患者から搾り取る綿密に仕掛けられた罠だということに気づかないのか僕には不思議でなりません。このゲームは何故無料なのか?どうやって儲けるつもりなのか?と思わんのでしょうか。もうこれ以上書くと地下室の手記並に悲壮感漂うので終わりにします。せいぜい水面で餌に食いつき釣られる魚を肴に楽しむことにします。僕からは以上。
2017年9月22日金曜日
【雑筆】事前検診終わりましたとか
事前検診が割に早く終わりました。前回は2日目にもつれ込んだので不安でしたがあまり検査項目がなかったようで。血を大量に取られて検尿、検便、検便、検便などをして終わり。検便ってクソをドバーっと出して頻繁に掬い取ってクソまみれで提出するのかと思ってましたがちょいとした棒にねちゃりねちゃりとふんだんにこすりつけてこれあげる~って渡しておしまい。あんまり自分のクソをじっくり観ることがなかったので新鮮でした。別に新鮮じゃねぇわ
どちらかと言えば検診よりも乳首をかみそりで切ってしまったり、歯ブラシが歯茎にゴリャっといって傷になったことのほうが印象深いそんな検診でした。なんかある日に限って体調崩したりケガしたりしませんか?くそったれ!神は死んだ!
そんなこんなでそんなこんなな日でした。後日検査結果が出て合否がわかるのでこの話はまたその時に。僕からは以上!
2017年9月20日水曜日
【雑筆】治験明日でした~読書とか
本を読む時、出来ればレトリック(意識高い系が好むワードで、修辞技法のこと)や筆致から何かを自分の中に取り入れたいと思うので、ただ教科書的な本を読んでるとそんなに吸収する部分がなくただ事実のみ受け入れていくだけなので大してモチベーションが沸かない今日このごろ。事実が知りたいだけならググればいいんじゃね?しかも本だと情報を得られるまで遅いし……なんて元も子もないもこもこないことを思ってみたり。
じゃあ古い本は時代遅れか?というと別にそうではなくて、不変の人間性を鋭く描いていたり、なんか、なんか、そういう、色褪せぬあれがなんかある本は昔から愛されてるのです。なんだこの語彙は?
「2001年宇宙の旅」でも思いましたが、なんでこの時代でこんな表現ができるんだ?と思う映画には感動します。今の技術なら簡単なことでも、当時はものすごい時間と労力をかけて成し遂げられたと思うとロマンありけり。古代ギリシアで書かれた書物でも、なんでこの時代でそんなことをもうわかってんの?と思うことが多々あるわけで、そういう時に僕は感動したりしなかったりします。
レトロ映画でもそうですね。カリガリ博士、吸血鬼ドラキュラ……それからクレイアニメーションを用いたあのへんの映画などなど。CGよりも何か愛おしいものです。実体があるから生々しいのもいいですね。新しいものが絶対にいいとは限らんのです。
なんか中身の無さに自分でも驚く内容でしたが今回はこんな感じで。もうちょっと突き詰めて古いものに惹かれる理由を紐解いてみたいと思いますがこの言い方だと多分しないやつです。僕からは以上です。
2017年9月19日火曜日
【雑筆】ドラマっていいよねとか
リビングにパソコンがあるので僕は四六時中リビングのリビングデッドだったりします。イヤホンを貫通しておふくろの観てるドラマの音声が聞こえるんですが、それがどうも辟易とするものなのでちょっと聞いてよ。口調が安定しない。
っていうのも、やたらと怒鳴り、やたらと泣き、やたらと迫真めいた演技が多く感じのです。いよいよラノベタイトルみたいなドラマタイトルになってきたり、得るもの皆無な夢小説みたいな内容だったり、いつもおんなじイケメンと美女とされる事務所の売り出したい人間が俳優の真似をしてみたり、この一節失礼どころではなかったり。
個人的に分析してみたところ、妙に感情的になってみせるのが名演技とされるのは、感情表現の歪な人間が多いからで、ドラマの世界で観るそれはどうも美化されて観えるようです。おかあさんとはなしてた。
じゃあ世界のドラマってのはどうなの?って話。僕はメンタリストやプリズンブレイクが好きなので、こうやって日本のドラマは~~みたいに偉そうな態度に出るのですね。さすがに比べるものが比べるものですが、日本と比べるとやっぱり落差があるかなあと。
っていうのも、実は日本と海外(ていうかアメリカ)では制作費が全然違います。アメリカはネット配信やDVD化を見据えて制作されているので映画並のクォリティを持っています。日本のは……日本国内の特に主婦層程度が商圏なのでその程度であるということです。今思い出しましたが韓流ドラマもけっこう面白かったです。トンイとかさ。
なので、僕が日本のドラマは合わないなあと思うのは、制作費が海外とは違うのとそもそも僕向けに作られてないってのと、僕の感性が死んでるってのと、その他もろもろetcなのです。スマホポチポチしながら観ることはありましたけどね、33分探偵とか、SPとか。
なんかやっぱりクソの役にも立たない記事ですがそれぐらいのほうが気楽でいいんじゃないかとも思う。俺は俺よ。アイアムアイ、ユーアーユー。僕からは以上。
【雑筆】懲りずに治験とか
2017年9月18日月曜日
【映画】デビルマンを観た【怒りのレビュー】
そんなわけでそこそこ興味が行動原理になりがちなクソ顔面の僕こと僕ですが、つい最近とても興味不快(深い)映画を観たので紹介します。
かっこいいポスターだな。でも謳い文句に不備がある。"伝説の原作、完全実写化"じゃない。『神作品に"デーモンクソ"をぶっかけた』だ!!!!!!
このゴミの名は『デビルマソ』。いいか、デビルマンじゃない。デビルマンといえば知らない人はいないだろう、説明不要の伝説的作品だ。ショタ時分あれはトラウマになったが素晴らしい作品だと思う。だがこれはクソで、デビルマンの名を騙る詐欺行為そのものだ。人類文明、文化、映画、作品と呼ばれる全てにクソを投げつける史上最低のクソ映画なんだ。
前情報として実写映画としては最低レベルの作品だということ(ドラゴンボールやトランスフォーマーと共によく聞くだろ?)。10億円の制作費に対し5億の売り上げが限界だったということ(参考までに実写映画でペイしない例はほとんどない、特に日本なら)。いわゆるサメ映画とか、そういうB級パニックホラーなんかとは毛色の違う、粘着系毒素を含んでることは僕にもわかっていた。
でも、アマゾンプライムビデオでこの映画の無料視聴期間が今月で終わってしまう(むしろ永遠に封印してほしいが)ので、せっかくだからと観たわけだ。やめておけばよかった。自ら肥溜めに飛び込むなんて馬鹿げてるだろ?それでも、"デビルマンの実写化"という謳い文句に乗せられるのも悪くないと思った。騙されてるうちが一番幸せだったのかもしれない。
デビルマンを知らない人のために少し解説しておく。70年代に描かれた漫画で、衝撃的な描写やシリアスでダークな作風は今なお多くのファンを魅了している。
大まかに言うと、デビルマンはデーモンとなった主人公が人間を守るために悪魔と戦うと言った感じ。だがその人間でさえも人間を悪魔と思い込み、ついには悪魔狩りと称して仲間割れをし始め、主人公の大切な人でさえ人間に殺されてしまう。人間に絶望しかけた主人公はそれでも人の心を宿すデーモン、デビルマンとして戦う……って感じの作品だ。言葉にするのが難しいくらい素晴らしい作品だが、雰囲気はとても陰鬱で目を背けたくなるようなシーンも多い。
だがこの『デビルマソ』は違う。まず、監督はビールを飲みすぎたので正常な判断ができず、主役には一切演技経験のない双子を抜擢した。ここが第一のクソだ。主演曰く「ドラマとか映画をよく観るから演技はできると思う」「自己採点では1000点」と大した自信を見せた。そして映画では超ド級、空前絶後の悪魔的演技を魅せた。以下はそのほんの一部だ。
「うあー。おれー、デーモンになっちゃったよー。」
「ほわ~~~~~~~ん!(意味不明)」
「ほろびるのはおまえだー、で↑ーもん↓」
「アー。ウアー、アアー!アーアア!(悲鳴)」
「オマエヲコロス(小声)」
こんな具合である。今日来日したフィリピン人でももう少し上手いと思う。
仮面ライダーブレイドを知ってるか?オンドゥルルラギッタンディスカー!という台詞がある。本当に裏切ったんですか!と言ってるんだが、どうもカタカナにすると収まりがいいという変わった発声なのだ。棒演技とかって、文字に起こす時はそうやって半角カナにするだろ?だがこの主演に限っては全てが半角カナでいい。いや、文字に起こす意味も意義もない。なんならこんな記事書くよりも眉毛を整えたり鼻毛を抜いたりしたい。そうやって面白おかしくネタにすることすら憚られるほどのデーモン演技なんだ。
とにかく主演の演技が前代未聞の事態なので、開幕数分はだいぶ腹筋が鍛えられる。だがこの映画は2時間たっぷりあるので、だんだんとこの演技にも苛立ってくる。そして見えてくるのは脚本のクソっぷりだ。
脚本は全体的に原作デビルマンをなぞろうとはしているが、名シーンっぽいところはダイジェスト形式、あるいはナレーションの一言で済ます。めっちゃ苦戦してた戦闘もこの映画じゃ一撃だぜ。説明もほとんど「悪魔だからじゃね?」みたいな学生のノリで済ます。
なんとか見せかけで原作をなぞっているように見せかけるが、なぜこうなったのか。などの因果関係はもうめちゃくちゃだ。俺の中2ノートレベルだ。それ以下だ。感覚としてはコマ送りの早送りで映画を観てる感覚に近い。
終始主演のゴミ演技で拷問の濁流を受け止め、なんとか終盤にたどり着くも嫌な点が目につく。カメオ出演だ。
カメオ出演ってのはなんでもない役に超大物を使ったりしてウケをいただこうとする、監督としては三流以下の発想である。しかもさっき言ったがこれはデビルマンだ。ふざけていい作品じゃないんだよ。なのに謎のボブサップ、小錦、小林幸子の出演で俺の身体はボロボロだ。人と人が魔女狩り的なことをして殺し殺されてる中、この大物の出演だぞ。一体監督は俺達にどういう感情を芽生えさせたかったのだろう。
ラスト、原作と同じように主人公は死に、親友がその死を見届ける。が、この映画はデビルマソなのでそこも一味違うのだ。
「あは、わらったー。明(主人公)がわらったー。あは。はは(神棒)」
キモいのである。ヤンデレキモ棒演技を見せられて僕は思ったね。死のうと。本当に疲れた。二時間の体感じゃない。ゴールド・エクスペリエンスに殴られたらこんな感じなのかなとかそういうことばかり考えていた。そのほうが有意義だからだ。
細かい部分はだいぶ端折ったが、あらすじはこんなところだ。話の内容を観てくれれば、デビルマンがどれだけ長い間愛され、そしてこの映画がどれだけ期待されていたかがわかるはずだ。当然ファンは激怒したし、原作を知らない人は憔悴した。疲弊した。そして伝説になった。これ以上聳え得る巻き糞はないだろう。
ではこの映画にいいところは無いのか?それは違う。10年程度前の邦画って点で言えばCGの出来はいい。小道具も悪くない。主演以外の演技だって見どころだ。CGと劇画を融合させた描画表現(ここだけは本当によかった)も興味深い試みだった。
何がクソか?
ひとつ、監督。もうこの世にはいない(神の意志だ)が、彼はなんと脚本を嫁に任せ、前述のとおり演技経験なしの素人を主演にした。学芸会ならまだしも、超大作の実写化でなんでそんなことができるんだ?東映も東映だが、監督も監督だ。可能ならこの映画が生まれる前にフィクサーを雇って彼を暗殺すべきだったと思う。
次に、脚本。原作いい部分をとことん無視し、可能な限り退屈で面白みのない脚本を作り上げた。加点方式でも減点方式でも0点だ。原作を知らない人はわけがわからないし、原作を知ってる人もわけがわからない、まさしく悪魔的脚本なんだ。間のとり方もおかしい。食い気味でセリフが挟まれたり、意味不明な感情表現。カンボジアのニュースでも観てるような気分にさせられる。
次はお前だ、主演。主演の演技の酷さは存分に語ったつもりだが、腹の虫が収まらない。何故演技経験0で依頼を承諾したのか?何故自信満々に挑発的態度で自己評価の高さを持ってして可能な限りファンを苛つかせたのか?(今思えばデーモンジョークだったのかも)何故「ジェット・リーを目指してる」と発言した割には三流以下のアクションなのか?この主演は本当にデーモンなんじゃないかと思えてくる。
如何だろうか?クソを生み出すクソ方程式から生まれたクソ、デビルマソに少しでも興味をもっていただけただろうか。冗談抜きに、僕が観た中では最低レベルの映画なので、これとゴッドファーザーとかを観ることで最低と最高を観たことになり、なんか、人としての幅が広がるんじゃないかな。広がらない。
最後に、デビルマンは素晴らしい作品だ。このゴミのおかげで逆に「やっぱ原作デビルマンって神だわ」と思える。いや知ってたが、やはり思い知らされる。そして、この映画には映画でやってはいけないことのその全てが詰まってる。反面教師だ。映画のタブーを正常位で犯しまくるこの映画を是非観て欲しい。そして僕と同じ苦しみを味わうがいい。僕からは以上!
2017年9月17日日曜日
【雑筆】書評ってどうなん
とりあえず目論見通りしょうもない雑筆で間を保たせてるビール腹の僕です。当たり前ですが好きなことを好きなように好き好んで話すので気軽さが無重力。いやあ、適当に話すのって、いいもんですね。なんで僕は書評ブログをやろうと思ったのだろう…。
僕はクソしょうもない顔面の分際で割と読書を好むので前評判としてレビューを探すことが多いもので。そいで僕みてぇなのもそれをやってみたいと思った次第です。人がやってるの見ると自分もやりたくなるじゃないすか。でもやってみたらあんまり楽しくないことが多いじゃないすか。今回もそうじゃないすか。一体何をしたらいいんすか(半ギレ)
ああでもないこうでもないと藻掻くのは今に始まったことではないので割愛。ていうかそもそも今時本読む人ってあんまりいないと思うのです。日本は世界的に見ても(意識高い系が好むワードその1)本の出版数が異常で、クソみたいな本でもガンガン売られてしまうわけです。そしてそれはブックオフに売られるわけです。絶対数が多い本というテーマを扱うのは非効率(意識高い系が好むワードその2)と言わざるをえない。
感想を書くってのは実はかなり難しかったりします。うまい飯を食ったあと「美味い!」以上の豊かなレトリック(意識高い系が好むワードその3)でその美味さを伝えるってのがまぁ難しいのです。たまにテレビで観るしょうもない食レポだって、自分でやろうとするとまぁ言葉が出てこないもんです。
映画もそう。僕は「ショーシャンクの空に」を観て前代未聞の大号泣を果たしたんですが、その感動を誰かに伝えようとしてもどこが、どのように、なぜ、面白かったと感じたかを説明するのが難しかったりします。っていうかしました。
ここまで書評やりたくねぇニュアンスをひしひしと伝えてきましたが多分書評をやめるわけではないです。多分。素直に感想を書きてぇ!とこの僕を思わせられる本があったら書くんじゃねぇすか。書くといいね。
そんなこんなで今回は書評ってものと向き合ってみました。お前はまず人生と向き合えって話なんですが、それを言われると秒で鬱になるので考えるのをやめました。それではまた。僕からは以上
2017年9月16日土曜日
【雑筆】北朝鮮の話とか
2017年9月15日金曜日
【雑筆】書評めっちゃ飽きない?
逆に飽きない方がやばい。というか読書感想文とか大嫌いだったじゃん、僕も貴様らも。
不相変読書は割と継続して習慣的に出来てるんだけど、やっぱ形式上そんなに砕けた文章でいくわけにもいかず、けれど僕のツイキャスとかツイッターのニュアンスとしてある種独特である、独特と思いたい、きっとそうだろう語り口筆致を活かせないもどかしさは頻繁に僕を苦しめるわけである。ハイボールマジうめぇなこれ。
そんなわけで、読書とその感想に関してはサブカテゴリとして格納するとして、普段はどうにか雑筆、随筆を書かせていただきてぇ所存。だってこうやってどうしようもないしょうもない筆致が一番落ち着くんですもの。
多分『意識高い系読書感想文』はサブカテゴリになって、このブログはなんかわかんねぇですね、多分無職のブログとか、ロン毛女装ホモのブログとか、なんかそういうタイトルになるんじゃねぇすか。兎に角フォロワーに叱咤激励された無職なので無意味でも無価値でもなんとか毎日更新していきたいと思ってる無職。
ツイッターで書けないような長文とか記事はこっち。戯言はツイッター。酔ってきたらツイキャス。昔みたいに動画をどっかに投稿することもあるかもしれません。しかしまぁ、どれもこれも黒歴史だな……
やりたことはたくさんあるけど、どれもそこそこ手付かずって感じです。ぜってぇ働かねぇ!っていう強い意志はあるけど、がんばるぞ!っていう強い意志はどこにもないわけで。なんとか苦痛なく行きていこうって目標はあるけど、苦痛や抑制がなければ快楽も薄れていくわけで。労働の後のビールは美味いもんで、永遠の夏休みは楽しいどころか精神疾患を患いますからね。
なんかこんな記事前にも書いた気がする僕of僕ですけども、このブログに限らず多分色々やっていきます。でも今は、なんか、スプラトゥーン2が楽しいので……なんならそれで記事書いてもいいかもな。毎日更新してなかったら叱ってください、デイリーToDoリストに書いとくよ。
そんじゃ今回はそこいらで。なんかあれだな、思ったよりブログってきっちーな。記事ってツイッターほど気楽じゃないってことを思い知ったこの無職です。えー、僕からは以上!
2017年8月15日火曜日
【雑筆】治験落ちてました~映画とか
治験は引き続き試みつつ短期バイトも試みつつ生きていく所存。
……映画ですね。最近は音声が付く以前の映画にハマってます。中でも「カリガリ博士」は熱い!詳しい物語は置いておくとして、ドグラ・マグラや歯車のようにちょっとヤバイ人の主観って映像なので建物などの風景が歪んでるのです。しかもサイレントでモノクロなのだから不気味も不気味。吸血鬼ノスフェラトゥなんかもそうですが、ホラーとサイレント・モノクロ映画の組み合わせは至高。プレステ版バイオハザードを覚えてるか?あれはグラフィックが粗いから表現を観てる人間が勝手に補完し想像し恐怖を際立ててるのです。超美麗グラフィックのホラゲーより昔のホラゲーのが怖いのはこういうわけで、レトロ・ホラー映画も想像してしまうから怖いのです。
そんなわけで表現ってのはなんでもかんでも視覚的に説明するよりも補完させる猶予を残すといいんじゃねぇかと無職思ったわけ。……書評ですか?ダブルババア介護でそこそこ忙しかったりで無償奉仕に尽くしてたりで頻度が落ちてますね。とにかく過去読んだ分だけでもちょくちょく書評しておこうと思います。しかし、ドストエフスキーはいつ読み終わるのか……僕からは以上です。
2017年8月7日月曜日
【雑筆】治験ですよ~
さて、僕は無職of無職なので不労所得のみで生きていくというなんのメリットもない目標を掲げているわけで。不労所得の筆頭と言えば治験なわけで。そんな治験が来週に迫っているわけで。
治験というのは、要は薬を人体に投与した結果を観察するものです。悪く言えばモルモット。良く言えば実験体。どっちもよくねぇや……。
これだけ聞くと副作用が云々といったふうな心配もあるでしょうが、だいたいはアメリカで市販されてる薬が日本人にはどうか?とか、プラシーボ効果(思い込み)を測るためになんの効果もない薬を投与するとか、まぁそんなに影響はないわけです。
今回僕が応募した治験では抗がん剤(!)を飲んで1週間入院*2、その後数回通院で不労所得がっぽり!とは言え、当然僕にとっての不安要素はあります。
例えば就寝環境。だいたい一部屋4人なので人と眠れない僕には苦痛だろうと。次に食事。これは毎回朝昼晩とどっかのお弁当です。僕は自他共認める超偏食、更に出来ればお母さんの料理しか食べたくない超あまちゃんなのでこれはかなり厳しい。しかも全部食べないといけない(他の入院者との観測結果に差を生じさせないため)ので絶望。俺母の飯を切望、饑餓で死亡、きっとそう。
一応僕のChromebookちゃんもUSBでLANケーブルを通してネットが出来るので読書とこのブログもあってそんなに退屈はしなさそうです。もしかしたらさみしさのあまりこっちで定期報告するかもしれないのでよかったらちょっと寄ってけや~~~僕からは以上
2017年7月27日木曜日
【書評】狂人日記【魯迅】
【作者:魯迅】
ほい、中華っす。和風と洋風ばっかりだったのでたまにゃ短編中華をば。
「狂人日記」というタイトルはニコライ・ゴーゴリの「狂人日記」から内容ともどもゴリゴリ影響を受けてます。
形式としては「ドグラ・マグラ」、「地下室の手記」のように劇中劇でございます。作中の日記がまさしく狂人日記ということです。
短編なので短め軽め概要をドゾー
概要
「日記」にはこう記されている。
今夜は大層月の色がいい。
俺は30年あまりこの月を見られなかった。外に出てみると、なにか周囲の目がおかしい。
どうにも俺を恐れ、噂をしている。俺をやっつけてやろうと思ってるようだ。俺は絶対に悪人ではないのというのに。
昔から人は人を食ってきた。食人だ。ようやくわかった。奴らは俺を食べようとしてる。アニキだって、そうだろう。
俺の口を抑えようとするものがいるが、何度だって言ってやる。集まった奴らに……「改心しろ、改心しろ。人を食って、これからの世界を生きられるはずがない」アニキは「気狂いを見て何が面白い。帰れ」と一喝した。
アニキの妹が死んだのも要はそういうことだろう。四千年間人食いの歴史があるとは知らなかった。「真の人間」は、見出し難い。
……こんな感じです。明らかに精神疾患患者の日記ですね。周囲の目を、果ては身内の目すらも恐れ自分は狙われてる、誰かに殺されるという強固な強迫観念にとらわれる。最近で言うと便利な掃除棒で一躍人気ものになったあの人でしょうか。今はある意味人気者ですねぇ!……すいまえんでした
さて、ただ"おかしな誰かの日記"の割には「食人」という言葉が目立ちます。無職こう思うんだけど、「食人」は儒教思想で、その思想が人を蝕んでいると言いたかったんではないでしょか。発表当時の中国は、清が倒れて中華民国が成立。かと思いきや袁世凱が自ら皇帝になろうして頓挫。今度は軍閥が割拠する等国家としての形を成していなかったと。
そんな混沌とした国、国家を見た魯迅が何を説きたかったか?さっきも言った儒教思想に縛られていた封建主義等に対する批判なんじゃねぇかと。とは言え、中国の歴史を考えると食人という言葉がメタファーだとも言い切れないんですけどね。子は親のために。親はその親のためにという時代遅れな思想は正しく"人が人を食ってる"と言えるのかもしれませんねぇ。かっこよく決まったぞ!記事で一回はこういうかっこいいこと言いたいじゃんか!ほい僕からは以上!
2017年7月15日土曜日
【書評】河童【芥川龍之介】
【作者:芥川龍之介】
【書評】憂国【三島由紀夫】
【作者:三島由紀夫】
名前は聞いたことあるって人も多いであろう三島由紀夫の代表作。二・二六事件を題材とし、叛乱軍となった仲間らを討伐しなければならなくなったことに懊悩した主人公が妻と共に心中する物語。短編ではあるがそれを全く感じさせない濃密な情景描写、感情表現の数々は正しく三島由紀夫作品と呼ぶに相応しいのであります。
あらすじ
昭和11年2月28日、二・二六事件で決起をした親友たちを叛乱軍として勅命によって討たざるをえない状況に立たされた近衛歩兵一聯隊勤務の武山信二中尉。彼は懊悩の末、自することを新婚の妻・麗子に伝える。すでに、どんなことになろうと夫の跡を追う覚悟ができていた麗子はたじろがず、共に死ぬことを決意する。そして死までの短い間、夫と共に濃密な最期の営みの時を過ごす。そして、2人で身支度を整え遺書を書いた後、夫の切腹自殺を見届け、自らも咽喉を切り、自決する。
2017年7月5日水曜日
【雑筆】ムショキン~無職の近況報告2~
【書評】自殺について【ショウペンハウエル】
【作者:ショウペンハウエル】
19世紀ドイツの哲学者ショウペンハウエルの哲学する"自殺"。宗教的に自殺は是か?古代ギリシャにおいて自殺は否か?そしてショウペンハウエルにとって自殺とは何か。自殺大国日本の国民にとって自殺は目を逸らしていられるほど遠い世界の話ではないですよね。誰だって一度は死後を思い生の意味を自問自答した夜があったはず。ありました。あった。
今回は非常にページ数が少ないので軽い紹介と陳腐な感想だけにしておきます。記事内容が内容なので、近く自殺で誰かを亡くされた方、自殺に纏わる話題がこころに滲みてしまう方はお気をつけください。
机にこれを置いておいたらおふくろに心配されました
曰く、自殺を犯罪と考えるのは「一神教のユダヤ系宗教」の信者たちだけ。自分とはいえ殺してるわけですからね。けれども旧約聖書にも新約聖書にもこれを是とも否ともする記述はない。じゃあ何故犯罪なのかと言うと「兎にも角にも私は悪いと思うからだ!ぷんすか」といったふうな議論に帰結。結局自殺を明確な理由で犯罪、或いは不正に当てはめるのはむつかしいのです。
さて、少し自殺というのを紐解くために例を挙げましょう。仮にあなたの友人が窃盗、暴行、詐欺といった犯罪を犯したとして、その報せを聞いた印象と自発的な自害を遂げたという報せを聞いた時の印象はあまりに違うはずです。彼の者が死んでしまったという特質はありますが、それを差し引いても呼び覚まされる感情は哀愁や同情ではないでしょうか。
では、古代に於いての自殺とは?古代ローマの博物学者プリニウスはこう記しています。"神は人間に対して耐え難い苦悩への賜物として自殺を賦与してくださった"と。
最近女子中学生が何の苦しみに苛まれていたわけでもないにも関わらず自殺しました。曰く、"一番楽しい今この時に死んでおきたい"。自殺はネガティブで宵闇に身を投じる様な印象がありますが裏を返せばポジティブな行為だと思いませんか?僕は幼いときから"いつでも電源ボタンを押してゲームを辞められるように、いつでも自殺出来るなら何も恐ろしくはない"と考えてます。別にそう思えって話ではないんですが、そういう考え方もあると知ってもらいたいのです。
あんまり書いてしまうと全容になってしまうのでここまで!
ここから感想。
毎週毎週ニュースで誰かがいじめを苦に自殺、学校側は自殺を否認、電車で人身事故、心中等を聞きます。一見悲しいように聞こえますが、僕はむしろ「ああ、この人は漸く楽に成れたのか。マイナスの感情がゼロになったんだ」と思います。いやこんな口調じゃねぇけどよ……。親の掃除機がゲーム機にぶつかって電源を落とされるより自分で電源を切った方がいいでしょう。選択の余地なく殺されたり生かされたりするよりも、選んで生きたり死んだりしたほうが幸せだと思いませんか?
最後に、僕は自殺を否定も肯定も、良しとも悪しとも、是とも否とも言いません。自殺については人類史永劫議論されるべきだと思っています。せっかく自殺大国に生まれたんですから、自分なりに自殺への印象を哲学してみてはいかがでしょうか。僕からは……以上です。
2017年7月2日日曜日
【雑筆】無職の近況報告
冬は暖かくなったら頑張ると言い、夏は涼しくなったら頑張ると言い、何かこのまま人生が終わってしまうような気がする僕of僕です。
僕はビール一口で全身がゆでダコになるほど酒が弱いのでカクテルを全然摂取出来ずバーテンダーを諦めた過去があります。諦めた回数だけで言えばぶっちゃけ負ける気しねぇッス。俺ガチなんで!
けれど、お酒はやっぱり美味しいもので。僕は舌がビッチなのでどんな酒とでも寝るわけです。出会って数秒で美味しい美味しい言ってしまうのです。いやそれは当たり前なんだけどなんかちょっとひねった言い方がしたかったわけよ。その結果がコレですわ。
一応シェイカーは扱えるので自分で自分のために作ってみたり僕の聖母ことやっこさん(彼女)にオリジナルカクテルを作ってみたり。それなりに携えたそれなりの酒知識はそれなりに役立ってるのです。20代前半は酒に詳しいと何故か羨望の眼差しを受けられます。子供の頃は走るのが早いと羨望マッハでしたね。中学の頃はエロ知識、高校の頃は勉強。僕はこの辺で挫折しました。
そんなわけでとくとく酒を飲んで思い出したくない過去に蓋をして湧き上がる闇をせっせとスコップで押しのけてる日々です。友人共は着々と就業から1年が経ちどことなく大人に見えてくるのに自分だけなにか高校から時が止まってしまったように思う。こういう心持ちで生きていくのはあまり心地の良いものではありません。
いくつもの淀んだ苦悩を解き解すには本が一番です。前回あたりの記事でドストエフスキーの「地下室の手記」を紹介したと思うんですが、あれは本当に良かった。これ俺やんけ!って思うんですよ。百数年前の本なのに不思議です。膨大な、けれど星の歴史から見たら浅ましい人類史では自分のような人間がやはり何人も生まれていて、それは作品の中にすらいたんだと思うと少し心が救われるのです。自分は澱み腐り何か靄がかった存在ではなくて作家からすれば取るに足らないキャラクターにすぎないんだなあと。何百年も前の本なのに「わかる……めっちゃわかる……」ってなる現象、ありますよね。ない?じゃあある体で聞け!結局人間ってのはどんな時代でもどんな環境でもだいたい等しく愚かで完全な聖人も完全な悪人もいない、どこか黒や白より灰色に近い存在だと思うのです。あれ、ちょっと見返したらこの文章マヂキモくない?
まぁなんかそういう感じで本は良いです(投げっぱなしジャーマン)。
予告してたドストエフスキー作品はあと4作なんですが、まぁ長いのと読みづらいのと複雑なのと気が滅入るのとでとにかく時間がかかってます。文学史上最高峰と謳われる所以はわかるんですがいかんせん暗い!僕はスポンジなのでこういう暗い雰囲気みたいなのをすぐ吸収してしまうのだ。用法用量を守って正しくゆっくり読ませてください……。
海外ドラマを観ました。「メンタリスト」ってやつです。人の機微やわずかな仕草、表情から心を読み取り暗示にかけるメンタリスト。そんなメンタリストが犯罪の捜査に協力するって話。これが面白い。キャラクターが魅力的で個性的。堅苦しい組織に風穴を空ける主人公の天真爛漫っぷり。メンバーは彼に翻弄されるけど事件は見事に解決する。日本人はこういうの好きだよね。型破りな主人公ってやつがよォーーーーーー!!(唐突なJOJO)
で、日本のドラマと比べて絶望したわけです。予算が違いすぎるだろ!って声もあるかもかもかもだけどね。33分探偵みたいなのがまた観たいな……そんな無職の切望。
さて、このブログは意識高い系読書感想文として、意識高い系が好みそうな本をレビューするって目的でした。でしたっていうか今もそうなんですけどどうも本以外でも興味のあることが無限に増えてしまって今みたいに収拾がついてません。もしかしたら別枠で無職のブログを作るかもしれません。その時は無職をどうぞよろしくね。っていうかさすがに働けよ……
こんな感じでたまにムショキンをしていきたいと思います。別に意味はないんですが改めて近況を文字にすることで如何に今の自分がうんちかって気づけたので多分無意味ではなかったです。僕の人生そのものが無意味かもしれない。人生とは?意味とは?万物が死に絶えるこの世界で何が有意義だというの……
ちんこの話ばっかりだけどツイッターもよろしくおねがいします。何をよろしくするんだ。たまにキャスもやってるのでそっちもよろしければ。なにがよろしいんだよ。はい、僕からは以上。いや、僕からは以上!
2017年6月20日火曜日
【書評】地下室の手記【ドストエフスキー】
【作者:ドストエフスキー】
ドストエフスキーの全作品を解く鍵と称される本作。内容はまさしく手記のそれ以上でもそれ以下でもない。なので実はあまり紹介する内容がないっちゅーことでかなり困っている。超噛み砕いて説明すると「非リア充の連投ツイート集」。いや……あらすじをどうぞ
あらすじ
(前半)40歳の「僕」はかつて意地の悪い小役人だったが遺産が転がり込んだのをいいことに退職、ここ20年は地下室で暮らしている。自称「意地の悪く病んだ人間」の僕は、自意識過剰で、悪人にも聖人にもなれないことを嘆く。僕は地下室に閉じこもり社会を、人間を批判する。汎ゆる計算式が敷衍され、全ての人間が合理化される時が来るとは到底思えない。結局人は気ままに恣意を欲して調和を乱すだろう。
(後半)濁り気味なぼた雪が僕に追憶させる。僕の若い頃の体験、その3つだった。
24歳で役人として働いていた僕は自意識過剰で疎まれがちだった。友人の送別会では一同を激怒させ、娼婦を意地悪く罵り…………現在のこの僕はどうにも後味が悪くなりこの「手記」を打ち切る。
……地下室の手記というタイトルだが、もっと確り言えば在る男の地下室で見つかった手記といったところか。前半部分は兎に角自分の思うままに、とは言え非理性的にある意味でまどろっこしい文章が書き連ねられている。自分を意地の悪い駄目な奴だとわかっていながらもそれを是正するわけでもなく半ば諦めがちに地下室で生きる。統合失調症とか、人格障害に顕著な例だけども、この僕と自分が重ならない人はいないのでもうほとんどの人の精神は不健康極まりないんではないか。僕だけか?いや、貴殿も……。というか日本人はだいたいこの僕とそれなりに重なるはずだ。だから読み進めてしまう。自らの綻びを解いていくように(ここちょっとかっこいい言い草、使う時はCを丸で囲んでください)
この僕のキャラクターは特に人間が目をそらしている部分を凝縮し抽出し凝固させたような人格。滅茶苦茶に自意識過剰でプライドだけは見上げるほど高く斜に構えなんでも批判する。そうして自分を守っている。誰かを認めたり褒めたりすると途端に自分の株が下がる気がするからだ。前半で自分を卑下し人々を鋭く批判する一方、後半では批判する人々に自分自身が含まれている。あなたはこの僕の愚かさを、本当に心から笑えるだろうか?本当に侮蔑し卑下することを厭わないだろうか。僕からは、以上です。
2017年6月15日木曜日
【書評】不道徳教育講座【三島由紀夫】
1960年2月5日(続編)
【作者:三島由紀夫】
(ウイスキー飲みすぎてめちゃくちゃな記事になってたので2日後くらいにしっかりとした形に編集しました)
憂国、仮面の告白、潮騒などの純文学からは想像も出来ないほど愉快痛快なエッセイ集。不道徳と称しながらもどこか本質を見定め社会を風刺するその筆致はこの僕事無職を始め今なお多くの著名人(要出典)に評価されています。めっちゃ簡単に言うと今なお読んでもおもしれぇエッセイ集です。しかも自衛隊駐屯地で自殺した人の。もともとは雑誌で掲載されてたエッセイを纏めたもんですね。
三島由紀夫っちと言えば、けっこうお硬い印象があるかと思います。日本純文学の境地である『憂国』。日本人の日本人による日本人のための『金閣寺』。そして太宰治を嫌う彼を知ってしまえばその根底には"日本男児"の"真髄"があったように思えてしまう。けれど、この作品に観られる彼はユーモアに溢れたある種フランクな三島ゆっきーでした……。まぁこれの三年後に自決するんすけど。
そいでは70に渡る三島由紀夫のおかしな教えから個人的に好きなのを3つ紹介しませう。
若者に告ぐ!教師を内心馬鹿にすべし!
戦後数年の日本教師は"絶対"の存在でした。そんな時代にこんなタイトルですから「何言ってんだこの武士!?」と思ってしまう。教師を尊敬すべし!ではなく内心馬鹿にすべし。刺激的なタイトルで引きつけてその理由を三島ゆっきーは淡々と軽快に教えてくれます。上辺では教師に媚びへつらうがいい。けれど生徒が将来戦う大人は教師ほど甘くはない。蹴落としあう運命ですからね。しかも教師なんか薄給で生徒と生徒の親、そして学校側から板挟み。内心は馬鹿にしつつ、教師の授業だけは真面目に聞いて知識だけ吸い取ってやれ!ということですな。そして野心を持ち教師の給料を超えてやるのです!
童貞は一刻も早く捨てよ!
もの凄く噛み砕いていうと、童貞なんか取っておいても意味ないよ!女が擦り寄ってきたらかまわずやっちまえよ!なぜならば……!という教え。30歳童貞とかになるともうどうしようもなかったりするじゃないですか。もう女性がなんなのかわけがわからないしだんだん遠い世界の存在のように思えてくる。そうして無理解は無茶な理想に変わってしまい手遅れ……と。この事実はいつの時代も変わらんみたいですね。
告白するなかれ!
自分の本当の姿、本当の気持ちを何もかもさらけ出して誰かに愛して貰おうなど、笑止千万!そんなものは甘え、あるいは弱さにすぎない。人間の核心はいつも不気味で淀んだものです。老若男女問わずね。それを見せるのはある種暴力的なもんです。思春期には淀み大人へと変貌していく内面に当惑しそれをさらけ出せないことに苦悩するものですが、やっぱり確りとした大人はこれを覆い隠し美しく着飾り装う。素直が一番?うるへー!
さてさて、この時点でけっこう面白い不道徳教育講座ですが、この講座はあと67もあります。随分昔に書かれたのになんでこんなにおもしろいのか……三島ゆっきーの持つ多角的視点の成せる技でしょうね。読み始めたら止まりません。
ここからは今回初登場した三島由紀夫に触れつつエンディングです。
三島由紀夫と不道徳教育講座
三島由紀夫は数々の名作を、小説、エッセイ、戯曲、映画で世に送り出してきました。そして三島事件による自決などなど、今なお語り継がれる男なのです。んで、そんな彼を紐解くに値する本が……えーと、これ。話らしい話のある小説には作者のしょうもない部分はあまり見えないものです。けれど、本書には居酒屋で彼がウヰスキー片手に語ってくれるような、面白おかしい"教え"があるのです。小説として伝えるほどでもないが、酒の席で語るような……え、僕無職なのに言葉選び下手すぎ……?わかって(語彙0)。冗談めいてるけどどこか本質的なメッセージ。うんこれがいい。
無職のあとがき
三島由紀夫が好きです。三島由紀夫がすげぇ好きです。彼の思想そのものを崇拝するわけじゃないけど、彼の生涯、作品、そしてその最後に至るまでの生き様は狂気的なまでのナルシシズムとエゴイズムを苗床に成り立っています。「憂国とかを書いた文豪」「駐屯地で割腹自殺した国粋主義者」「美輪明宏さんの友達」「石原慎太郎の旧友」これが僕のかつて彼に抱いていた印象でしたが、これを読んで随分印象が変わりました。最近映画にもなった「美しい星」というSF作品があるんですが、これを読んでもやっぱりこの人は天才だと思ってしまいます。まるで三島由紀夫って集団がいるんじゃないかと思うくらい人間としての幅が広い。天才って意味では彼自身自覚もあったらしいしね。もうコレ以上は駄文書き連ねちゃうしこのへんで僕からは以上!
2017年6月1日木曜日
【雑筆】ドストエフスキーがやばい
というのも、日本語はかなり独特な原語で、ラテン語の種から芽生えた言語(伊、独、仏、その他たぁくさん)とは"遠い"。要は言語としての構造、文章の作り方がかなり違う。ドイツ語は近いけど……そんなわけで日本語に訳しにくい言語ってのがあるんです。
で、たとえば哲学なんかは日本語で作られた文章でもかなり難解になる傾向がある。所謂なんか難しそうな本ってやつ。じゃあ元々ロシア語で書かれた哲学書(あんまりないけど)は日本語訳されてるけど日本語としてはいびつで、恐らく大枠翻訳されてるけど100を100のまま翻訳するというのは不可能なわけです。
つまり僕が何を言いたいか?わざわざ記事を投稿するのはなぜか?決まっている。翻訳のジレンマ、壁、言いたいことはたくさんある。要はドストエフスキーがやばいんだよ!
まずね、まずね、まずは今言ったこと。要は言葉がむつかしいのだよ。言葉遣いが古風で難しいから読むのに時間がかかる。僕ら意識高い系はビジネス用語をいちいち検索しながらビジネス書を読み解いてきた。それと似たようなことをまたやってるのだ……。時間がかかね。
NEXT、名前が覚えられない。日本人なら名前も覚えやすいじゃん。アメリカ人もまぁよく聞くし。でもドイツ人の名前はあんまり聞きなれない。なんとかブルグ、なんとかベルン……。じゃあロシア人は?なんとかスキーになんとかコフ。こんな聞きなれない名前の羅列、覚えられないよ!まずここがちょっとキツい。ジョンとかマイケルならいいのに……。時間がかかる。
次に、話がむつかしい。文章じたいじゃなくて、話が複雑。なんでこんなこと描くの?って考えると、やっぱり当時の時代情勢が関わってくる。つまりドストエフスキーの見たもの、感じたもの、伝えたいこと。当時の読者にはすぐ馴染むだろうけど現代の無職こと僕にはあまりにも遠い世界。つまり読むのには時間がかかるなあ……。
最後。長い。強いて言えば「地下室の手記」は割に簡単で読みやすい。難解だけど……「罪と罰」とか「カラマーゾフの兄弟」が長い。長いよほんとに。短編や散文を好む僕にとってこれは問題で、話を忘れる。コイツ誰だっけ?なにがあったんだっけ?ってな感じで、どんどんわけがわからなくなる。まぁ並行して読んでるから悪いんだろうけど、長いから時間がかかるのは当然だよね。
まとめ。この記事の総括。僕の言いたい全て。時間がかかる。ぶっちゃけオラに元気を分けてくれって感じだ。とりあえず一番薄い「地下室の手記」の書評が最初になりそうです。僕のドストエフスキーレビューペンタロジーを楽しみに待っててね!僕からは以上!