別にゲテモノが好きってわけではないんですが、都内の中華料理屋なんかでは蛹や蠍を料理してくれる店があって、どうせそこそこの値段で味は保証されてるのだからとつい食べてみたりします。蠍とかあのへんは海老なんかと近縁の種なので甲殻類系の味がしてけっこう美味かったりします。ワーム系は中から【削除されました】が出てきたりしてちょっと苦手です。
そんなわけでそこそこ興味が行動原理になりがちなクソ顔面の僕こと僕ですが、つい最近とても興味不快(深い)映画を観たので紹介します。
かっこいいポスターだな。でも謳い文句に不備がある。"伝説の原作、完全実写化"じゃない。『神作品に"デーモンクソ"をぶっかけた』だ!!!!!!
このゴミの名は『デビルマソ』。いいか、デビルマンじゃない。デビルマンといえば知らない人はいないだろう、説明不要の伝説的作品だ。ショタ時分あれはトラウマになったが素晴らしい作品だと思う。だがこれはクソで、デビルマンの名を騙る詐欺行為そのものだ。人類文明、文化、映画、作品と呼ばれる全てにクソを投げつける史上最低のクソ映画なんだ。
前情報として実写映画としては最低レベルの作品だということ(ドラゴンボールやトランスフォーマーと共によく聞くだろ?)。10億円の制作費に対し5億の売り上げが限界だったということ(参考までに実写映画でペイしない例はほとんどない、特に日本なら)。いわゆるサメ映画とか、そういうB級パニックホラーなんかとは毛色の違う、粘着系毒素を含んでることは僕にもわかっていた。
でも、アマゾンプライムビデオでこの映画の無料視聴期間が今月で終わってしまう(むしろ永遠に封印してほしいが)ので、せっかくだからと観たわけだ。やめておけばよかった。自ら肥溜めに飛び込むなんて馬鹿げてるだろ?それでも、"デビルマンの実写化"という謳い文句に乗せられるのも悪くないと思った。騙されてるうちが一番幸せだったのかもしれない。
デビルマンを知らない人のために少し解説しておく。70年代に描かれた漫画で、衝撃的な描写やシリアスでダークな作風は今なお多くのファンを魅了している。
大まかに言うと、デビルマンはデーモンとなった主人公が人間を守るために悪魔と戦うと言った感じ。だがその人間でさえも人間を悪魔と思い込み、ついには悪魔狩りと称して仲間割れをし始め、主人公の大切な人でさえ人間に殺されてしまう。人間に絶望しかけた主人公はそれでも人の心を宿すデーモン、デビルマンとして戦う……って感じの作品だ。言葉にするのが難しいくらい素晴らしい作品だが、雰囲気はとても陰鬱で目を背けたくなるようなシーンも多い。
だがこの『デビルマソ』は違う。まず、監督はビールを飲みすぎたので正常な判断ができず、主役には一切演技経験のない双子を抜擢した。ここが第一のクソだ。主演曰く「ドラマとか映画をよく観るから演技はできると思う」「自己採点では1000点」と大した自信を見せた。そして映画では超ド級、空前絶後の悪魔的演技を魅せた。以下はそのほんの一部だ。
「うあー。おれー、デーモンになっちゃったよー。」
「ほわ~~~~~~~ん!(意味不明)」
「ほろびるのはおまえだー、で↑ーもん↓」
「アー。ウアー、アアー!アーアア!(悲鳴)」
「オマエヲコロス(小声)」
こんな具合である。今日来日したフィリピン人でももう少し上手いと思う。
仮面ライダーブレイドを知ってるか?オンドゥルルラギッタンディスカー!という台詞がある。本当に裏切ったんですか!と言ってるんだが、どうもカタカナにすると収まりがいいという変わった発声なのだ。棒演技とかって、文字に起こす時はそうやって半角カナにするだろ?だがこの主演に限っては全てが半角カナでいい。いや、文字に起こす意味も意義もない。なんならこんな記事書くよりも眉毛を整えたり鼻毛を抜いたりしたい。そうやって面白おかしくネタにすることすら憚られるほどのデーモン演技なんだ。
とにかく主演の演技が前代未聞の事態なので、開幕数分はだいぶ腹筋が鍛えられる。だがこの映画は2時間たっぷりあるので、だんだんとこの演技にも苛立ってくる。そして見えてくるのは脚本のクソっぷりだ。
脚本は全体的に原作デビルマンをなぞろうとはしているが、名シーンっぽいところはダイジェスト形式、あるいはナレーションの一言で済ます。めっちゃ苦戦してた戦闘もこの映画じゃ一撃だぜ。説明もほとんど「悪魔だからじゃね?」みたいな学生のノリで済ます。
なんとか見せかけで原作をなぞっているように見せかけるが、なぜこうなったのか。などの因果関係はもうめちゃくちゃだ。俺の中2ノートレベルだ。それ以下だ。感覚としてはコマ送りの早送りで映画を観てる感覚に近い。
終始主演のゴミ演技で拷問の濁流を受け止め、なんとか終盤にたどり着くも嫌な点が目につく。カメオ出演だ。
カメオ出演ってのはなんでもない役に超大物を使ったりしてウケをいただこうとする、監督としては三流以下の発想である。しかもさっき言ったがこれはデビルマンだ。ふざけていい作品じゃないんだよ。なのに謎のボブサップ、小錦、小林幸子の出演で俺の身体はボロボロだ。人と人が魔女狩り的なことをして殺し殺されてる中、この大物の出演だぞ。一体監督は俺達にどういう感情を芽生えさせたかったのだろう。
ラスト、原作と同じように主人公は死に、親友がその死を見届ける。が、この映画はデビルマソなのでそこも一味違うのだ。
「あは、わらったー。明(主人公)がわらったー。あは。はは(神棒)」
キモいのである。ヤンデレキモ棒演技を見せられて僕は思ったね。死のうと。本当に疲れた。二時間の体感じゃない。ゴールド・エクスペリエンスに殴られたらこんな感じなのかなとかそういうことばかり考えていた。そのほうが有意義だからだ。
細かい部分はだいぶ端折ったが、あらすじはこんなところだ。話の内容を観てくれれば、デビルマンがどれだけ長い間愛され、そしてこの映画がどれだけ期待されていたかがわかるはずだ。当然ファンは激怒したし、原作を知らない人は憔悴した。疲弊した。そして伝説になった。これ以上聳え得る巻き糞はないだろう。
ではこの映画にいいところは無いのか?それは違う。10年程度前の邦画って点で言えばCGの出来はいい。小道具も悪くない。主演以外の演技だって見どころだ。CGと劇画を融合させた描画表現(ここだけは本当によかった)も興味深い試みだった。
何がクソか?
ひとつ、監督。もうこの世にはいない(神の意志だ)が、彼はなんと脚本を嫁に任せ、前述のとおり演技経験なしの素人を主演にした。学芸会ならまだしも、超大作の実写化でなんでそんなことができるんだ?東映も東映だが、監督も監督だ。可能ならこの映画が生まれる前にフィクサーを雇って彼を暗殺すべきだったと思う。
次に、脚本。原作いい部分をとことん無視し、可能な限り退屈で面白みのない脚本を作り上げた。加点方式でも減点方式でも0点だ。原作を知らない人はわけがわからないし、原作を知ってる人もわけがわからない、まさしく悪魔的脚本なんだ。間のとり方もおかしい。食い気味でセリフが挟まれたり、意味不明な感情表現。カンボジアのニュースでも観てるような気分にさせられる。
次はお前だ、主演。主演の演技の酷さは存分に語ったつもりだが、腹の虫が収まらない。何故演技経験0で依頼を承諾したのか?何故自信満々に挑発的態度で自己評価の高さを持ってして可能な限りファンを苛つかせたのか?(今思えばデーモンジョークだったのかも)何故「ジェット・リーを目指してる」と発言した割には三流以下のアクションなのか?この主演は本当にデーモンなんじゃないかと思えてくる。
如何だろうか?クソを生み出すクソ方程式から生まれたクソ、デビルマソに少しでも興味をもっていただけただろうか。冗談抜きに、僕が観た中では最低レベルの映画なので、これとゴッドファーザーとかを観ることで最低と最高を観たことになり、なんか、人としての幅が広がるんじゃないかな。広がらない。
最後に、デビルマンは素晴らしい作品だ。このゴミのおかげで逆に「やっぱ原作デビルマンって神だわ」と思える。いや知ってたが、やはり思い知らされる。そして、この映画には映画でやってはいけないことのその全てが詰まってる。反面教師だ。映画のタブーを正常位で犯しまくるこの映画を是非観て欲しい。そして僕と同じ苦しみを味わうがいい。僕からは以上!
0 件のコメント:
コメントを投稿