2017年7月5日水曜日

【書評】自殺について【ショウペンハウエル】

【自殺について  他四篇】1952年くらいから発行
【作者:ショウペンハウエル】

19世紀ドイツの哲学者ショウペンハウエルの哲学する"自殺"。宗教的に自殺は是か?古代ギリシャにおいて自殺は否か?そしてショウペンハウエルにとって自殺とは何か。自殺大国日本の国民にとって自殺は目を逸らしていられるほど遠い世界の話ではないですよね。誰だって一度は死後を思い生の意味を自問自答した夜があったはず。ありました。あった。


今回は非常にページ数が少ないので軽い紹介と陳腐な感想だけにしておきます。記事内容が内容なので、近く自殺で誰かを亡くされた方、自殺に纏わる話題がこころに滲みてしまう方はお気をつけください。


机にこれを置いておいたらおふくろに心配されました


曰く、自殺を犯罪と考えるのは「一神教のユダヤ系宗教」の信者たちだけ。自分とはいえ殺してるわけですからね。けれども旧約聖書にも新約聖書にもこれを是とも否ともする記述はない。じゃあ何故犯罪なのかと言うと「兎にも角にも私は悪いと思うからだ!ぷんすか」といったふうな議論に帰結。結局自殺を明確な理由で犯罪、或いは不正に当てはめるのはむつかしいのです。


さて、少し自殺というのを紐解くために例を挙げましょう。仮にあなたの友人が窃盗、暴行、詐欺といった犯罪を犯したとして、その報せを聞いた印象と自発的な自害を遂げたという報せを聞いた時の印象はあまりに違うはずです。彼の者が死んでしまったという特質はありますが、それを差し引いても呼び覚まされる感情は哀愁や同情ではないでしょうか。


では、古代に於いての自殺とは?古代ローマの博物学者プリニウスはこう記しています。"神は人間に対して耐え難い苦悩への賜物として自殺を賦与してくださった"と。
最近女子中学生が何の苦しみに苛まれていたわけでもないにも関わらず自殺しました。曰く、"一番楽しい今この時に死んでおきたい"。自殺はネガティブで宵闇に身を投じる様な印象がありますが裏を返せばポジティブな行為だと思いませんか?僕は幼いときから"いつでも電源ボタンを押してゲームを辞められるように、いつでも自殺出来るなら何も恐ろしくはない"と考えてます。別にそう思えって話ではないんですが、そういう考え方もあると知ってもらいたいのです。

あんまり書いてしまうと全容になってしまうのでここまで!


ここから感想。

毎週毎週ニュースで誰かがいじめを苦に自殺、学校側は自殺を否認、電車で人身事故、心中等を聞きます。一見悲しいように聞こえますが、僕はむしろ「ああ、この人は漸く楽に成れたのか。マイナスの感情がゼロになったんだ」と思います。いやこんな口調じゃねぇけどよ……。親の掃除機がゲーム機にぶつかって電源を落とされるより自分で電源を切った方がいいでしょう。選択の余地なく殺されたり生かされたりするよりも、選んで生きたり死んだりしたほうが幸せだと思いませんか?


最後に、僕は自殺を否定も肯定も、良しとも悪しとも、是とも否とも言いません。自殺については人類史永劫議論されるべきだと思っています。せっかく自殺大国に生まれたんですから、自分なりに自殺への印象を哲学してみてはいかがでしょうか。僕からは……以上です。

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