2017年11月12日日曜日

【雑筆】苦手だったボカロを聴いた

中学の頃イキってブラックコーヒーを飲んでみたら正直ギネス級に不味かったので以来BOSSのカフェオレをしばらく飲んでました。ジュースを出されたら「甘いの苦手なんで……」って言うのがめちゃくちゃ気持ちよくて、甘いものを取らずそこそこのカフェオレばっか飲んでたらマジで甘いものが一切食えなくなって以来ブラックコーヒーガバガバ飲んでます。慣れもありますが幼少期と比べて成長と共に舌の細胞が死んでいくので苦味にも慣れていくのだそうです。


そんな感じで、苦手な物でもいずれ慣れていっちゃったりするのが人間のいいところです。だから僕が先日記事にしたなろう系デビルマソも時計仕掛けのオレンジで拘束されたアレックスのように見させられ続ければきっと慣れてしまいます。けれど、僕には決して慣れないある音楽があります。ボーカロイドです。


ボカロ曲ってのは所謂ヤマハのボーカロイドを使用した楽曲のことで、今や全く聴いたことのないって人も珍しいでしょう。技術力の暴力を振りかざせば肉声さえ凌ぐ画期的な技術。作曲をしたいけど歌に自信がない、ボーカルのツテもない、雇えない……そんな人の希望になる





かのように思われた。





僕がボカロを初めて聴いたのはキモオタとカラオケに行った時。その前からニコニコ動画にあがってるのはよく見かけていたが、サムネがブヒってるのとタイトルがゲロダサいなどの理由で視聴していなかったのだ。そしてキモオタの歌うボカロを聴いて僕は絶望した。歌詞がダサすぎるのだ。


歌詞がダサいとはどういうことか。僕が以前記事にして感想を書いたなろう系を覚えてるか?言うならばアレに近い。まさしく"オタクの妄想です!叶わぬ夢物語です!"って感じなんである。いや、それだけならばまだいい。それに加えて、"俺センスあるっしょ?"ってニュアンスだけが滲んでるのだ。ここに例を出さないのは僕の良心に依るものだ。なんか、無名のV系バンドっぽいと言ったらわかるかな。しょーもない比喩、難しい言葉使ってます感、専門用語ドババ。悟飯のかめはめ波を受けたセルみたいな気分だった。どんなだよそれ。


しかし更に悪いことに、メロディ自体は普通にいいのだ。そこそこ単調で基本を押さえてない割に奇を衒ってるなと思うことはあれど、それは大した問題じゃない。そういう"若い音楽"もいいだろう。超老舗バンドの初期の曲みたいなもんだ。ただ歌詞がゲロダサいから余計にそう思う。多分歌詞さえなければSoundCloudでもそこそこウケるくらいだし、それくらい作曲の腕はある。歌詞はダサいが。


そんなわけでボカロをほとんどペストのように忌避していた僕に前日フォロワーから「こんな曲あるよ!」とお達しがきた。僕はもともとTwitterで「ボカロはクソ!洋楽最高や!歌謡曲は大和魂」とほざいており、当人もそれを了解していたはずだがそれを踏まえての挑戦だった。僕はデビルマソ、なろう系を耐えた人間。というか当人は本当にいいと思って勧めてくれたので聴いたんである。だから恐る恐る聴いた。


聴いたのはGUMI?のなんとかって曲だ。楽器隊がリアルガチでレベル高いと思ったらなんとベースを担当したのはMr.Bigのベーシスト、ビリー・シーンだった。そんなのアリかよ。当然マジの音楽が僕の耳に轟いた。そしていつもの歌詞が視界になだれ込む。


やっぱり歌詞はもう本当にマジキツかった。これは事実で、どうしてもなろう系と重なってしまった。確かに中高生の好きそうな"謎社会批判"、"とりあえずダルい感じ"、"それ全然上手くないぞ比喩"の連発だ。あととりあえず"大人が悪い"。歌詞以外ほぼ完璧な分余計に虚しかった。
タイトルも印象通りだった。なんか専門用語を使ってみたり、漢字カタカナの組み合わせを頻繁に楽しんでみたり。だがちょっと待って欲しい。ボカロってのはボーカロイドを使った音楽のことだ。なのに何故僕は「ボカロってこんな感じでしょ?」と予測できるのか。これは少しおかしい。「なろう系ってこんなんばっかでしょ?」と予測しまさにその通りだったのと似たおかしさだ。


それから聴いてみたボカロの人気曲は実際どれもおぞましいクサさだった。中2の頃書いた詩を具現化したようなものだ。ダンテの観た地獄よりも地獄的で、普通にルシファーも泣き出すと思う。なろう系の曲バージョンみたいなもんだ。何度、「歌詞さえなければ」と思っただろうか。ボカロを使った曲ってだけなのに何故かどれも劣化ロキノンっぽいタイトル、中2ノート歌詞。これは多分主なファンが中高生オタク野郎なのでそいつらにウケるようにしてるんだろう。そうじゃなくて素で書いてるなら実家に帰って欲しい。


ボーカロイドを使って自由に、それこそ人間には不可能な歌さえ歌わせられるのに現実はこれだ。オタクにウケる歌詞でボカロってジャンルを確立し悪いことにそんなのが量産されているのだ。何度も言うがこれとなろう系は同じ異常性を持っていることが認識できるはず。そもそもなろう系、ボカロってジャンルが生まれること自体おかしいのだから。ていうかもうボカロを使わないとウケないから使ってんじゃねぇのか?おい。


僕がこんなふうにごねていると、更にフォロワー殿は英詩のボカロを勧めてきた。これ、すごくよかった。歌詞がクサくないし、しっかりとした英語だった。というのも、これはそもそも外国人が作ったものだったのだ。これにより僕のボカロアレルギーは海外勢によるもののに承服するとして帰結したのであった。でもやっぱあんなだっさい歌詞としょうもないメロ、リフの応酬を崇めてる連中と僕は仲良くなれないし向こうもクソ喰らえと思うだろう。


……秋元康に楽曲提供をしているガチ作曲家の友人宅で聴いたボカロは本当にまことの音楽でした。どっちかっていうと僕は自分の色眼鏡がジョン・レノンみたいに重なってかかっているのを思い知って自己嫌悪スパイラルでした。これちょっとボカロタイトルっぽいな!ハハ!僕からは以上!

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