2017年11月25日土曜日

【ゲーム】どうぶつの森 ポケットキャンプを切る

電車でスマホをいじってる人の画面を観るってのが僕の趣味なんですが、大抵はなんかのゲームをやってます。それかLINE。僕も学生の頃はコミュニケーションのためだけにソシャゲに興じてましたが、経営学部だったのでソシャゲが人間の心理を逆手に取った悪魔じみた発明であることに気づいてからはやらなくなりました。ゲームをするなら大画面で楽しみたいのです。


しかし、そんな家庭用ゲーム市場も縮小し続けています。続編が出ないシリーズ、経営状況の悪化したコンピューターゲーム企業。そしてスマホゲームに夢中となった人々のせいも相まってますます家庭用ゲーム市場は縮小していっています。。続編の出ないシリーズと言いましたが、その中にはスマホゲームとして退化し登場したものも少なくありません。もうおわかりですね?それはどうぶつの森です。


どうぶつの森は僕自身ゲームキューブ用のものしか遊んでなかったんですが、家族で楽しんでいたこともあり出来るだけ続編の出続けて欲しいシリーズではありました。あのかわいらしい世界観の中、生活を楽しむことで日々のストレスも軽減されるというものです。俺無職だけど。部屋に家具を置いて、どうぶつたちとお話、魚を釣って虫を捕まえて……全てが懐かしく、楽しかった。


ニンテンドースイッチが発売されましたが、結局どうぶつの森はニンテンドースイッチで開発されることはなく、スマートフォン向けに超絶退化しその有名タイトルにあやかった何かと成り果てたのです。こういう例はいくつもあるし「またか」としか思いませんでしたが、こうやって家庭用ゲーム市場は自滅していくのだなあと思うとどうにもやりきれない気持ちです。




……ん?ちょっと待ってください?じゃあこのともはるという男は「どうぶつの森 ポケットキャンプ」をクソゲーと認定、ソシャゲへと退化したポチポチゲーとして侮蔑しているということでいいんですよね?だってこれだけソシャゲを卑下しているのですから。これだけのことを言っておいてまさかソシャゲを楽しみまくってるなんてこと、ありませんよね?









めっちゃ楽しんでいるのである。そう、僕はソシャゲをガチャガチャアホ向け違法賭博非倫理的麻薬中毒者製造ウンコとして最大限侮辱しているのだが、結局「どうぶつの森 ポケットキャンプ」を楽しんでいるのである。しかもそのプレイヤーレベルは17。これはもう自由時間の全てを投じてようやくたどり着けるレベルである。どうぶつ達と交流したり家具を作ったりすることで経験値がもらえ、レベルが上がる。もうつまりこの無職、夢中になってこのゲームを楽しんでいるわけなのだ


では何故僕がこのゲームにハマっているのか?答え、ガチャがない

僕はガチャシステムを搭載しているその全てのゲームをゲームだと認めてはいません。賭博中毒者の餌、そのついでにゲームのようなものが付随しているという認識なのです。本質は射幸心を煽って大した趣味も時間もない社会人から金をむしり取るクソ害悪システムですから。言い過ぎました、ようは好きじゃないんです。

でもガチャがないならソシャゲも悪くない。気軽に無料で始められるのでまさしくソーシャル(社交的)。話題にもなる。課金も出来るけどそのリアルマネーを使うことで家具の製作にかかる時間をスキップできたり、素材収集のクールタイムをスキップできたり、こんな家具誰が欲しがるんだ?としか思えない家具を買えたりします。まだリリースして数日ですがわざわざ課金する人はあまりいないでしょう。だって課金する理由は誰かに追いついたり強いキャラを入手したりするためのものですから。少なくとも僕は「課金したい!」とは微塵も思いませんね。いいことです。


僕がガチャへの悪口を書き始めると宇宙が終焉を迎えるまで書き続けられるのでガチャへの言及はもうしません。このゲームは確かに廉価版どうぶつの森かもしれません。けれど確かに「どうぶつの森」なんです。だからいい。だからこそいい。こんなのゲームじゃねぇ!作業だ!と思う人もいるかもしれませんが、それでいいのです。僕はどうぶつの森が好きだしその話をするのも好きなのでこのゲームにゲーム相応の楽しみを見出し、それに興じる。ただそれだけのこと。今全ての話題に対する最強のカードを切ります。人それぞれです。


そんなこんなで初ゲーム記事でした。普段はスプラトゥーンでブチ切れてますが、それを記事にするのはあんまりなので楽しく遊べてるこのゲームを記事として採用しました。無料でできるのがいいところなので興味があったら始めてみてください。つまんねーと思ったら辞めてください。楽しいと思ったら遊んでください。


最後に僕のキャンプを紹介します。キャンプってのは家具などのモノを置いて絨毯を敷いてどうぶつやプレイヤーに遊びに来てもらう要素です。



いい感じですね!マイクスタンドが未実装なのかちょっと物足りない感じですが、オシャレでクールなキャンプです。どうぶつ達もまったりくつろいでいます。



続いてキャンプの右側スペースです。ここスペースは庭のようなもので、家具を置くよりはブランコなどの遊具、植物を植えている人が多いです。見ていきましょう。





こえーよ……

【雑筆】治験終了無職

終わってました。初治験参加だったのでそこそこ不安もありましたがぶっちゃけ起きて採尿して採血して喰ってシャワー浴びて寝るっていう生活でした。


今回の治験の流れをまとめておきます。もし治験に参加或いは興味のある方は参考にどうぞ。


治験参加前

いくつかの治験情報がアルバイトの求人みたいな感じで並んでるのでその中から自分の条件に合う治験に参加します。数日後連絡が来て治験の日程や食事制限などの詳細が伝えられます。治験参加前に病院で事前検診があり、採血や採尿、身長体重の測定等により治験に参加出来るかを確認します。また、事前検診の前にはアルコールやカフェイン、柑橘系などの食事制限があります。僕はコーヒーが飲みた過ぎて手がガタガタ震えてました。


治験本番

病院側の条件に即していることが確認されると、いよいよ治験への参加となります。僕の場合は2泊3日を2回というスケジュールでしたが、治験によってはもっと短いことも長いこともあります。基本的には長いほうが報酬も多くなります。
治験中は病院内で生活します。朝起きたらまず採尿、採血。投薬があるなら投薬。昼ごはんを食べて採血してシャワー浴びて夕飯食べて採血して寝る……そんな感じです。僕の場合かなり暇な時間があったので読書やスマホ、PCいじりで凌いでました。
ちなみに当然他の治験参加者と共同生活ですが、治験を受けるような人なのでコミュニケーションは皆無です。僕自身コミュニケーション取りたくなかったのでありがたいことです。つーか無職同士話すことなんかないよ


治験終了

最終日にベッドを綺麗にして何もなければ終わりです。何も、というのは例えば投薬による副作用があればその後も通院するなんてことがあります。僕の場合十数人が同時に投薬、生活してましたがなんか一人体調が悪いとか言ってただけでそれ以外は誰も何もありませんでした。その体調が悪いってのも投薬によるものかわかりませんし、副作用の心配はほとんどないと思っていいでしょう。


こんな感じでした。ぼけぼけ暮らして採尿して採血して寝て起きて……そしたらお金がもらえるっていう僕のようなナマケモノの擬人化にとっては僥倖中の僥倖なので本当に助かりました。

とはいえ、畢竟その場しのぎに過ぎないのでこれに甘えていてはいけないとも思いつつ……バイトでもせねばといった心持ちであります。参考になったかしら?僕からは以上です。

2017年11月18日土曜日

【書評】何もかも憂鬱な夜に

何もかも憂鬱な夜に:中村文則
発行:2017年2月17日


憂鬱」の文字に反応し目をやったところ、『火花』などで知られるピースの又吉オススメ!て触れ込みだったので書店でなんとなく買って読んだ本。確か高校生という暗黒真っ只中な頃に読んで、思春期に淀んで行ったこころを力強く照らしてくれたのを覚えています。別に意識高い系とか無関係の本ですが、僕にとって本当に大切な本なので紹介させてください。


あらすじ

施設で育った刑務官の「僕」は、夫婦を刺殺した二十歳の未決囚・山井を担当している。一週間後に迫る控訴期限が切れれば死刑が確定するが、山井はまだ語らない何かを隠している―。


どこか自分に似た山井と接する中で、「僕」が抱える、自殺した友人の記憶、大切な恩師とのやりとり、自分の中の混沌が描き出される。
芥川賞作家が重大犯罪と死刑制度、生と死、そして希望と真摯に向き合った長編小説。 ※引用:Amason「何もかも憂鬱な夜に」


一見死刑制度を取り扱っているようにも見えますが、テーマ自体は至極単純。「死」「生」「性」です。ただ漠然とあらゆる生物に訪れる死と、ただ漠然と脈打つ生命、ただ漠然と了解する性にえげつないほど切り込み解剖します。


作中の受刑囚の佐久間の言葉

受刑囚から刑務官への言葉。

「あなたを見た時、惹かれましたよ。私はあなたのようなタイプの人間が、大好きです。若く、ゆらゆらと、揺れている。自分に不満を持ち、自分を恐れ、人生に飽き、自分がいつまでこうしていられるかを、不安に思っている……根拠もないのに」


考え方次第で自分を疑うことも、その未来をも疑うことができる。そして考え方次第でいくらでも不安に駆られる。ほとんど誰にでも突き刺さる言葉。受刑囚の言葉だからこそ重いというものです。


『僕』を救った恩師の言葉

飛び降り自殺をしようとした『僕』を救った施設長である恩師の言葉。

「お前は……アメーバみたいだったんだ。分かりやすく言えば」
「温度と水と光とか……他にも色々なものが合わさって、何か、妙なものができた。生き物だ。でもこれは、途方もない確率で成り立っている。奇跡といってもいい。何億年前の」
「その命が分裂して、何かを生むようになって……そして人間になった。何々時代、何々時代、を経て、今のお前に繋がったんだ。お前とその最初のアメーバは、一本の長い長い線で繋がってるんだ」
「これは凄まじい奇跡だ。アメーバとお前を繋ぐ何億年の線、その間には無数の生き物と人間がいる。どこかでその線が途切れていたら、何かでその連続が切れていたら、今のお前はいない。いいか、よく聞け」
「現在というのは、どんな過去にも勝る。そのアメーバとお前を繋ぐ無数の生き物の連続は、その何億年の線という、途方も無い奇跡の連続、いいか?全て今のお前のためだけにあった、と考えていい」


今のために過去のあらゆる犠牲があり、あらゆる過去は現在に若かない。ちなみに生命が誕生する確率はプールに時計の部品を浮かべて勝手に時計が完成するくらいだそうです。その生命が自分にまで繋がってる、自分のためにあったっていうことは少し漠然とした力を与えてくれませんか?


「ベートーヴェンもバッハも知らない。シェークスピアを読んだこともなければ、カフカや安部公房の天才も知らない。ビル・エヴァンスのピアノも」
「黒澤明の映画もフェリーニも観たことがない。京都の寺院も、ゴッホもピカソもまだだろう」
「お前は、まだ何も知らない。この世界に、どれだけ素晴らしいものがあるかを。俺が言うものは、全部見ろ」

「自分以外の人間が考えたことを味わって、自分でも考えろ』あの人は、僕達によくそう言った。『考えることで、人間はどのようにでもなることができる、。……世界に何の意味もなかったとしても、人間はその意味を、自分でつくりだすことができる」


受刑囚佐久間の言葉とは対極の言葉。人の生み出す素晴らしい作品に触れることで人としての幅が広がり、様々な思考、発想が生まれます。そして本来無意味な命に意味を与えられるのです。よく人生は無意味だとか抜かす雑魚がいますが、それはそいつにとって無意味なだけでそう考えない人には意味がある人生なのです。なぜならそう考えるから。
ちなみにこの言葉は飛び降り自殺を止めてくれた『僕』の施設長が語った言葉です。可笑しな話ですが毎日死ぬことばかり考えていた自分に向けられた言葉のようにさえ感じられました。


本書には死、生、性に特に強く関わる人が登場します。また、その多くの人間はそれらに悩み苦しみます。僕にはどの人物の言葉もあまりに痛切で、読み終わった頃には本当に生まれ変わってしまったような気がしました。思春期に家族に、社会に、自分にさえ疑念を懐き、結局それらに決着をつける前に歳を重ねてしまった僕は本当の意味で漸く救われたのです。どこかぼんやりとした不安を抱え、死を待つように生きていた僕にとってこの本は聖書なんか目じゃないほど大切な本です。

2017年11月15日水曜日

【雑筆】治験本番無職〜二日目〜

どうもぶっちゃけ僕です。治験二日目を迎えました。


治験二日目は朝から検尿、投薬をしてから10回の採血を行います。採血には留置針という注射針をブッ刺しておいて十数分置きに採血を行い、割りと血を吸われます。


それが終わったら後は自由時間、つまり今の僕ですね。温かい麦茶を飲みながら夕飯まで過ごし、シャワーを浴びて寝る。明日は検尿してそのまま解散です。これら日程をもう一度こなして9,3000円です。その後4ヶ月は治験を受けられないのでいよいよ僕は働く他ありません。なんかたまにジャングルで暮らす原住民が羨ましくなりませんか?ならねぇわ別に。


そんなわけでなんか特に波乱万丈の治験ということにはならなさそうです。うん……治験っていいな。ちなみにご飯は弁当なんですが、粋な計らいか味噌汁までいただけて普通にいい生活です。こうしていればいるほど働く意欲は失われていくのであった。僕からは以上です。

2017年11月14日火曜日

【雑筆】治験本番無職〜1日目〜

どうもこんにちは治験本番無職です。初日の今僕は病室でこうしてパソコンカタカタ無職です。


投薬が明日。明後日退院ということなので初日は特に暇です。ベッドでなんかスマホでソシャゲに興じてみたり本読んでインテリぶってみたりもう普通に寝てみたりいろんな人がいます。その中にいるのがこのロン毛ホモ女装無職なのですね。


今日はもう弁当を食べてシャワーを浴びて寝るだけです。それ以外は自由なので別に何をしててもいいんですがやることがないです。永遠にプライムビデオとYoutubeを観るくらいですかね……ニコニコ?知らんな。


ていうか僕の書いた無職短編なんですが、あれ一回書いてしまったせいで僕の悪い創作意欲が騒いでしまってるのですよ。またなんか別の形で無職短編が生まれ貴様らにその全貌をお見せすることがあれば覚悟していてください。


そんなわけでここに1日目記事を終了とさせていただきます。明日は投薬とおぞましい数の採血が待っているのでそっちはそこそこの記事になると思います。なってください。僕からは以上。

2017年11月12日日曜日

【雑筆】苦手だったボカロを聴いた

中学の頃イキってブラックコーヒーを飲んでみたら正直ギネス級に不味かったので以来BOSSのカフェオレをしばらく飲んでました。ジュースを出されたら「甘いの苦手なんで……」って言うのがめちゃくちゃ気持ちよくて、甘いものを取らずそこそこのカフェオレばっか飲んでたらマジで甘いものが一切食えなくなって以来ブラックコーヒーガバガバ飲んでます。慣れもありますが幼少期と比べて成長と共に舌の細胞が死んでいくので苦味にも慣れていくのだそうです。


そんな感じで、苦手な物でもいずれ慣れていっちゃったりするのが人間のいいところです。だから僕が先日記事にしたなろう系デビルマソも時計仕掛けのオレンジで拘束されたアレックスのように見させられ続ければきっと慣れてしまいます。けれど、僕には決して慣れないある音楽があります。ボーカロイドです。


ボカロ曲ってのは所謂ヤマハのボーカロイドを使用した楽曲のことで、今や全く聴いたことのないって人も珍しいでしょう。技術力の暴力を振りかざせば肉声さえ凌ぐ画期的な技術。作曲をしたいけど歌に自信がない、ボーカルのツテもない、雇えない……そんな人の希望になる





かのように思われた。





僕がボカロを初めて聴いたのはキモオタとカラオケに行った時。その前からニコニコ動画にあがってるのはよく見かけていたが、サムネがブヒってるのとタイトルがゲロダサいなどの理由で視聴していなかったのだ。そしてキモオタの歌うボカロを聴いて僕は絶望した。歌詞がダサすぎるのだ。


歌詞がダサいとはどういうことか。僕が以前記事にして感想を書いたなろう系を覚えてるか?言うならばアレに近い。まさしく"オタクの妄想です!叶わぬ夢物語です!"って感じなんである。いや、それだけならばまだいい。それに加えて、"俺センスあるっしょ?"ってニュアンスだけが滲んでるのだ。ここに例を出さないのは僕の良心に依るものだ。なんか、無名のV系バンドっぽいと言ったらわかるかな。しょーもない比喩、難しい言葉使ってます感、専門用語ドババ。悟飯のかめはめ波を受けたセルみたいな気分だった。どんなだよそれ。


しかし更に悪いことに、メロディ自体は普通にいいのだ。そこそこ単調で基本を押さえてない割に奇を衒ってるなと思うことはあれど、それは大した問題じゃない。そういう"若い音楽"もいいだろう。超老舗バンドの初期の曲みたいなもんだ。ただ歌詞がゲロダサいから余計にそう思う。多分歌詞さえなければSoundCloudでもそこそこウケるくらいだし、それくらい作曲の腕はある。歌詞はダサいが。


そんなわけでボカロをほとんどペストのように忌避していた僕に前日フォロワーから「こんな曲あるよ!」とお達しがきた。僕はもともとTwitterで「ボカロはクソ!洋楽最高や!歌謡曲は大和魂」とほざいており、当人もそれを了解していたはずだがそれを踏まえての挑戦だった。僕はデビルマソ、なろう系を耐えた人間。というか当人は本当にいいと思って勧めてくれたので聴いたんである。だから恐る恐る聴いた。


聴いたのはGUMI?のなんとかって曲だ。楽器隊がリアルガチでレベル高いと思ったらなんとベースを担当したのはMr.Bigのベーシスト、ビリー・シーンだった。そんなのアリかよ。当然マジの音楽が僕の耳に轟いた。そしていつもの歌詞が視界になだれ込む。


やっぱり歌詞はもう本当にマジキツかった。これは事実で、どうしてもなろう系と重なってしまった。確かに中高生の好きそうな"謎社会批判"、"とりあえずダルい感じ"、"それ全然上手くないぞ比喩"の連発だ。あととりあえず"大人が悪い"。歌詞以外ほぼ完璧な分余計に虚しかった。
タイトルも印象通りだった。なんか専門用語を使ってみたり、漢字カタカナの組み合わせを頻繁に楽しんでみたり。だがちょっと待って欲しい。ボカロってのはボーカロイドを使った音楽のことだ。なのに何故僕は「ボカロってこんな感じでしょ?」と予測できるのか。これは少しおかしい。「なろう系ってこんなんばっかでしょ?」と予測しまさにその通りだったのと似たおかしさだ。


それから聴いてみたボカロの人気曲は実際どれもおぞましいクサさだった。中2の頃書いた詩を具現化したようなものだ。ダンテの観た地獄よりも地獄的で、普通にルシファーも泣き出すと思う。なろう系の曲バージョンみたいなもんだ。何度、「歌詞さえなければ」と思っただろうか。ボカロを使った曲ってだけなのに何故かどれも劣化ロキノンっぽいタイトル、中2ノート歌詞。これは多分主なファンが中高生オタク野郎なのでそいつらにウケるようにしてるんだろう。そうじゃなくて素で書いてるなら実家に帰って欲しい。


ボーカロイドを使って自由に、それこそ人間には不可能な歌さえ歌わせられるのに現実はこれだ。オタクにウケる歌詞でボカロってジャンルを確立し悪いことにそんなのが量産されているのだ。何度も言うがこれとなろう系は同じ異常性を持っていることが認識できるはず。そもそもなろう系、ボカロってジャンルが生まれること自体おかしいのだから。ていうかもうボカロを使わないとウケないから使ってんじゃねぇのか?おい。


僕がこんなふうにごねていると、更にフォロワー殿は英詩のボカロを勧めてきた。これ、すごくよかった。歌詞がクサくないし、しっかりとした英語だった。というのも、これはそもそも外国人が作ったものだったのだ。これにより僕のボカロアレルギーは海外勢によるもののに承服するとして帰結したのであった。でもやっぱあんなだっさい歌詞としょうもないメロ、リフの応酬を崇めてる連中と僕は仲良くなれないし向こうもクソ喰らえと思うだろう。


……秋元康に楽曲提供をしているガチ作曲家の友人宅で聴いたボカロは本当にまことの音楽でした。どっちかっていうと僕は自分の色眼鏡がジョン・レノンみたいに重なってかかっているのを思い知って自己嫌悪スパイラルでした。これちょっとボカロタイトルっぽいな!ハハ!僕からは以上!

2017年11月10日金曜日

【雑筆】治験合格無職

ローションに水を混ぜて保存しておいたら、劣化していったのかいざ使うと亀頭がズタボロに蝕まれてショタの頃ボディーソープを陰茎に頻繁に絡ませローション代わりにした挙句弱酸性に陰茎をずたずたにされたのを思い出しました。


さて、とりあえず治験に合格しました。治験ごときに苦節半年。数日後には入院ということになります。どうせ絶望的に暇なので治験中は記事もどばどば書かれることでしょう。


……今回は報告のみなのでここまでです。こちらの記事で書かせていただいた無職短編を経て、僕は今一度創作というものについて深く考えるようになりました。なのでこれからは書評、雑筆に加えて無職短編も新たなカテゴリとして加わることでしょう。これは地獄の門がきしりきしりと開いたのに違いありません。あのおぞましい、痛々しい無職短編を貴様らは幾度となく見せつけられる可能性があるのですから。それでは僕からは以上です。

2017年11月3日金曜日

【無職短編】じゃあお前なんか書いてみろと言われたので

こちらの記事でなろう系小説というものの書評というか感想を書きなぐったんですが、ツイッターでも騒いでた時に「きさまもそれらしいものを書いてみろ。稚拙でとりとめもない駄文ができるよ」というなんか歌ってみた動画に「下手やな」って言ったら「じゃあお前が歌え」って言われたような感覚に陥り、ならば書いてやろうと筆を執った次第です。僕は怒ると自棄になるぞ!


しかし恐らく僕は今から黒歴史を齢23で製造するだろうし、後悔もするだろう。なんならこれを読んだ人はその倍後悔するだろう。自分が視力を具えていたことを。けれど僕自身僕の筆致に興味があるし、彼の言うとおりなのかどうかにも幾分か興味がある。男は度胸、なんでもやってみるのさ(まさかの阿部さん)


さて、再三忠告はしたけどもまだ足りないので最終警告を言い渡す。おまえら聞けぇ、聞けぇ!静かにせい、静かにせい!話を聞けっ!男一匹が、命をかけて諸君に訴えてるんだぞ。いいか。いいか。これから意識高い系紛いの無職が筆を執り、小説と謳うごみを製造しそれを諸君らに見せようと言うのだ(まさかの三島由紀夫)


それではふんぞり返ってなろう系小説を批判した無職の駄文を笑うがいい。あとで編集するのやだなあこの記事。



無職短編・無題


僕は或用事を済ませ不相変眼球と後頭部に鈍い痛みを抱えながら帰路に着いていた。この偏頭痛の理由というのは珈琲をもう数日も嚥んでいないことに違いなかった。少なくとも毎日カフェインを摂取していた頃には偏頭痛も和らいでいたことを僕はぼんやりと思い出した。この症状は母に、そして祖母にも顕れる以上先天的に運命づけられたスティグマに他ならないとーー『横浜、横浜です』ーー電車のアナウンスが僕を空想の世界から現実へ連れ戻した。僕は殆どそのアナウンスに促されるように電車を降りた。


プラットホームは視界のどこも無機質で殊に兵隊の様に歩を進める人間は僕の目に痛ましい印象を与えた。サラリーマンの信じる神は企業だろうか?主婦の信じる神は高級ブランドのバッグだろうか?学生の信じる神は単位だろうか?僕の信じる神はーーこういう妄想と聯想は僕の視覚を覆い隠すのに丁度良かった。少なくとも物心ついた頃からこの悪癖に救われてきたし、今も尚カリガリ博士のフランシスの様でなければ僕と正気とは無縁だったに違いない。僕は何かから目を逸らすようにそんなことばかり妄想しながら往来へ流れていった。


建ち並ぶビルディングと広告のノイズは何れも僕に不愉快だった。僕はこの街のーーミニチュアの都会紛いの過去を妄想した。モダン建築以前の木造建築を、和装を、風俗を、嘗ての日本を想い描いていた。そうして何かに反抗的精神を向ける事はいつも僕の神経を正常に保った。そして僕自身の思想の偏りを、自意識を、自尊心を分析し始めた。そしていつかそれらがいつ萌え初めーーそしてそれらがいつ根を張り僕自身を縛り付けていったかを思い返していた。過去には何一ついい事がなかったため、僕は未来に救いを求めた。しかし未来は過去ほど明るく残酷に事象を写しはしなかったものの、どこか暗がりの中に針を、棘を具えていた。就中現在は整合性も調和も喪っていた。


僕は何時しか或知人に紹介されたカッフェの扉を開けていた。人を心から嫌い何時も静寂を求める僕にはこのカッフェが特に気に入るものだった。店内には燭台に蝋燭が二本灯っているだけで、窓さえもなく光はそれらが唯一だった。僕はウォールナットの椅子に腰掛け注文したエスプレッソを待っていた。僕以外には暗がりの中に店主以外客もいないらしかった。僕はこの店をどこかフィルム映画の様に観察していた。蝋燭の淡い琥珀色の光と漆黒の調和はどれも僕に愉快だった。


僕はテーブルに置かれたエスプレッソの香りを、味を楽しんだ。鎮痛剤と言う名目で相当の値段である珈琲を嚥み、僕は頭痛の収まる事を期待した。しかし、存外この現状、現実は僕の心に穏やかな印象を与え、何時しか頭痛さえ取り払ってしまった。僕は痛みを抱えていない事に何処かある種のコンプレックスを感じ、僕自身の感じた矛盾を冷笑しない訳にはいかなかった。正常の状態であるならば、何かに対しての言い訳すら出来ないと心の何処かで感じた。


鼻腔に残ったエスプレッソの香りを楽しみながら僕は自宅の扉を開けた。家族は帰って来ていないらしく、それが僕を少し安心させた。僕は身支度を済ませさっさと床に臥した。眠る時にも僕は暗がりの中に生命の死を、自我の消失を、神経を、電気信号を、血液をーー殊に死に対する強烈な不安と恐怖が見え隠れした。みんなどうやって約束された死と向き合っているのだろう?人生が丁度死刑執行を待つ死刑囚のモラトリアムに過ぎないのなら、或いはそれに等しいと感じるなら、その事実を何故見ないでいられるのだろう?僕は幼稚園に居た頃、自分にしか自我を、意識を感じることができないならば他人にも自我と意識が存在するという証明は僕自身には絶対出来ないと考えていた。畢竟、僕以外の人間は機械のようなもので、外界の事象に反応する傀儡なのではないかーーそんな事ばかり考えていたが、そんな考えを誰にも伝えられないし伝える意味もない。こういうズレはいつも僕の神経を脆弱にさせた。


泥に沈む舟の様に僕の意識は眠りへ落ちていった。僕は霞みゆく意識の中で、二度と目の覚めないことを、仮に目が覚めたとしても遍く全てのなくなっていることを願わずにはいられなかった。




終わりです。お疲れ様でしたと言いたいところだが、これはどちらかというと僕に課せられた無意味な苦行ではないか?得たものと言えば、僕はどうやら芥川龍之介に、とりわけ『歯車』にエグいくらい影響されているということくらいだ。僕は以前なろう系小説批判記事で、"こんなのは涼宮ハルヒの憂鬱とゼロの使い魔を足して超絶劣化させた何か"みたいな評価を下したが、このクソデカブーメランは見事僕のドタマに突き刺さったのだ!笑うがいいさ、いっそ笑いたまえ。言うならば僕のこの駄文は"芥川大好き小説家気取りのクソガキが書いた便所の落書き以下のクソ溜め"だ。確かにわかった、創作の上で何かに影響されないのは不可能だ。理解したよ。何故なら創作意欲の根源に作品と作者への陶酔と憧憬があるからだ。僕の作った曲は"DIR EN GREYと平沢進を混ぜて汎ゆる魅力を削ぎ落とした雑音"だし。前述した創作の事を僕は僕自身の手で了解したし、証明も出来たと想う。ところでものすごい文章が長くなってるのは物を書いた余韻。助けてください。


さて、汎ゆる創作が痛ましいほどに作者の次第を映すということは証明できた。だから僕があのなろう系小説に対して「あんなもんはハルヒとゼロ魔のパクリでそれ以下だ」みたいな上訴は棄却される。僕のこの駄文は明らかにあのなろう系小説以下だし、絶対に読者数で勝るころはない。いいねもふぁぼも付かなければ閲覧数でも負けるだろう。

僕は音痴が歌うたいの歌を批判することを悪いと思ったことがない。同時に運動音痴がバッターのストライクに文句をつけてもいいと思ってる。何故なら観客聴衆観衆に必須とされる感性も技量も必要ないからだ。同時にそれらのプロもそう想う……っていうか想っていてほしい。だから僕がこんなことをする意味も意義もないが、無職なのでやった。暇だし。確かに創作は大変で粗を探せばいくらでも見つかるものだ。それが素人なら尚更だろう。けれどだからこそ僕は森林に萌える新芽を愛したいと想う。きっとその草花がいつか林に、森になるのだから。なんかいい感じに〆たつもりかもしれんが僕はファットマンとリトルボーイもビビってクソ漏らすほどの核爆弾を生んだ事実からは逃れられず、そしてまた今日は眠れないだろう。僕からは……ああ、以上です。