2021年9月7日火曜日

自分の短編を自分で解説する試み

 桜高軽音部の皆さんこんばんは、ともはるという偽名で活動しているおじさんです。


先日自身初の短編を書き、トゥイッター(ネイティブ)のフォロワー1人に絶賛されるという号泣不可避の大躍進を遂げたクソじじいこと僕ですが、この短編に散りばめられたなんかがテメーらにちゃんと伝わってるか不安で飲酒と喫煙が止まらない事態に陥ったので今回はタイトル通りクッソ恥ずかしい試みを実行します。未読の方は是非読んでみてください。矛盾していますがそれと同じくらい読まないで欲しいです。どっちなんだ。そんなものでしょ?はずかち~の!では始めていきましょう。



・はっきり言ってジョーカーに影響を受けましたか?

 受けました。仕方がないだろう。タクシードライバーも観たし岡田斗司夫のYoutube動画も観た。ざまあみろ。大体インスピレーションはいつだってインスパイアなんだ。作品に感化されずに創作するものがいるか。たわけ!


・テーマは何か?

 犯罪心理と社会です。今まで体験してきた映画や本、音楽で受けた影響を出し切った結果何故かそうなりました。母子を描写したのは筆者が母の愛さえなければ何度でも死のうとしていたからです。別に殺人に興味はないですが自殺には興味があったので試みはしましたが母が悲しんだら死ぬほど嫌なのでそれだけが結局自分にとって生きがいだったことになります。それを可能な限り描写したつもりです。


・なぜ女性を殺させたのか?

ハウスジャックビルトという映画で女性、女性性に対する強烈なコンプレックス(本来の意味)や犯罪心理が結構克明に描写されていたので、自分なりにこれを描けないか?と模索していたわけです。その中でいくつかの資料に内臓、特に子宮に対しての理解しがたい、表現されがたい何かしらの神秘を感じたので、ただ殺しただけでなくそうした理由について異常なりに因果関係を与えたかったのです。大量に出血したことがある人ならば自分の血の暖かさに驚いたことがあるでしょうが、まさにそれと人の暖かさを勘違いしてもらいたかったのです。人から与えられた暖かさがそれしかなかったなら、まあしょうがないんじゃないですかねえ。


・正装するあたりジョーカーに影響されすぎでは?

これは筆者が生きる意味を自身の内に見出すきっかけになった小説"何もかも憂鬱な夜に"で描写されていた影響が大きいです。コロナ禍で失うもののない無敵の人が暴走する事件が増えていたのでこれはいい機会だと思い、法律という壁をブレイクスルーした時世界はこうも煌めきだすのだという最悪な心理を描きました。欲望がままに動き追手が来るまでは完全なる自由。筆者にさえあるわずかばりの狂気をここに凝縮しました。それはまさに晴れ舞台と称するのに相応しいのではないでしょうか。死なばもろともって言葉を悪いほうに使うとこうなります。あんまり明るいほうでない筆者は時々そんな悪いことを考えてしまうのです。ほんとうはおまえらもそうなんだろ?


・中盤の独白は何?

 精神分析学という分野で割と最近は研究されている分野をなるべくコミカルに一人称という形で利用しました。トラウマとか耐え難い苦痛を覚えた時、人はそれを他人事のように切り捨て、忘れてしまうのです。しかしそれは脳内での出来事。きっかけ次第でまた現れてしまいます。一人称毎に意味を、意義を与えたのはそれらがまさしく人格だからであり、最初で最後の演説の場で集結していただいたのです。

 少し筆者の話をするとすれば、私は幼年期大変な偏食家、小食で、食卓では毎日毎日いつもいつでも親父のそれに対する嫌味を聞いて育ちました。それとサイコパス、犯罪心理における異常とわかっていても、わからないでいてもそれをどうすることもできない、できなかった苦しみを描きたかったのです。持って生まれたものがもし社会に生きていくうえで障害になるようなものだったら?成長の過程で得たものがもし他者から否定され、侮蔑されるものだったら?そしてそれを自分自身ではどうにも出来ないものだとしたら?そんな恐怖は誰にでもあるべきものだと思うのです。ここらへんはラブクラフトのクトゥルフによる影響かも。


・執刀医の描写、いる?

 いる。影が光によってのみ生まれ認識されるように、物事を描写するうえで対比することほど簡単なものはありません。右に対しての左、異常に対しての正常、生に対する死。実は逆の概念がなければ存在しえない概念というのは意外に多いのです。

 医者は金と才能がなければなれません。そういう意味では神聖です。狂人でありながら社会に受け入れられた者とそうでない者の些細な違いを描写したつもりです。だからこの描写は必要なんです。ちなみにこれはダークソウルの影響な!そんなんばっかか?俺。


・最後のほうの親子の会話は何?

 母子家庭です。父親はいらない。子供を産む苦しみを知らないから。

 母親は極めて常識的な言葉で彼に恐怖します。それは普通誰でも思うことです。人を殺したんですからね。少年の心情を描写しなかったのは、母の言葉とニュースに対して何も思わなかったと思ってほしかったのと、勝手に考えてほしかったからです。

 誰も話を聞いてあげなかったっていう部分は銃乱射事件に対してコメントを求められたマリリンマンソンの一言が元ネタです。そうだな、と思ったので。そうしてあげたり、そうしてもらってる親子の描写は絶対に必要でした。それは彼にも必要でした。それだけでよかったのに。


 ・変な絵を渡す部分、意味わからん

 わかりやすいサイコパス診断の一つに、見えない部分を描写するというものがあります。人を描いてと言ったらレントゲン写真のような絵を描いてしまうとか、黒いもやもやした何かを描いてしまうとか。これを以ってして少年が将来彼のようになる可能性を描写しました。しかしそうならないと思われるのは前述したとおり母とその愛によるもので、それさえあれば恐らくはきっと問題なく生きていけるのです。そう信じているのでそう描写しました。本音で話せる相手なんて一人いればいいんだよ。いなかったら本当に悲しいけど。





いかがでしたでしょうか(クソNaverまとめ)。イラスト以外で何かを創作したことがなかったので本当に稚拙なものになってしまったかと思いますがだったらテメーらこれを超える文章を書いてみろこの野郎。よく見たらそんなに悪くなかったわ。ちょっとくさい、におう部分はあったけどな!

あと、初めて書いた文章がこれだとすると、きっとイラストでは大変理想的なものを描く割りに、文章では極めて薄暗い自らの内の闇を描くことがわかったのでネガティブな感情その全てが臨界点を突破したらまた書きます。感想はください。約束ね。僕からは以上!

2021年9月5日日曜日

添削もせず、一瞬で短編を書く

 今日は私の晴れ舞台だ。この日のために見繕ったスーツを着て私は家を出た。とっくに日の落ちた道の、街灯の少ない場所を何度か往復していると、若い女性が携帯を操作しながら歩いてくるのが見えた。私はどくどくと唸る心臓を意識しながら、包丁を握りしめ、力いっぱい女を突き飛ばした。女は何か叫んだようであったが、私は気にも留めず、薄暗い中で肌色に見える部分を包丁で突き刺した。返り血は嘘のように暖かく、それは、生涯私に与えられることのなかった温もりのように感じられた。いつしか血しぶきは止み、そこには着飾り、化粧を施した、女の死体が冷たく横たわっていた。私は、幼少期に虫をいじめて遊んでいたら死んでしまった時のような虚無感を覚え、虚無感を振り払うために、裂けた女の下腹部へ手を入れた。まだ少し暖かい内臓の、恐らくは腸の少し奥に触れた時、私は初めて母なる慈愛を感じ取った。この時、私は初めて心の底から笑った。




これらは事実ですか。


はい。


何回目ですか。


一回目です。


なぜ、殺したのですか。


温もりを知りたかったからです。


この女性を知っていますか。


知りません。


何か言っておきたいことはありますか。


はい。どうか、どうか、聞いてください。

どうか、どうか、静かに、聴いてください。今まで、この時まで、ただの一度も私の話を聞いてくださる方はいませんでした。母も、クラスメイトも、同僚も、誰だって私の話を聞こうとはしませんでした。それどころか、私を気味が悪い、気持ち悪いと言って除け者にするか、無視するか……あるいは、石を投げつけてくるばかりでした。誰も私の話を聞こうとはしませんでした。誰も私と話したりはしませんでした。誰も私を認めてはくれませんでした。誰も私を愛してはくれませんでした。

虫の脚を、翅を千切るのが好きでした。僕の力で、僕よりも弱いものが苦しむ様が少し愉快だったのです。それ以外、到底楽しいことなどありはしませんでした。次第に動物相手にも、そうするようになりました。家の近所の山で虫や動物を見つけては、傷みつけて、ほんの少しだけ面白いと思う、ただそれだけでした。それ以外何一つ楽しいことはありませんでした。その時僕は、彼ら、彼女らの内側にも興味を抱くようになりました。僕を虐げる人達の皮膚を裂いたら、きっと鮮血が飛び、内臓が露わになり、ああ、誰もが苦悶の声を上げるのだろうか。それなら、虫も動物も人間も、僕も、誰も何も変わりはしない。どれだけ装ったって、繕ったって、内側はグロテスクな赤色や黒色ばかりなのだろう、と。大人になったら、きっとそれをこの目で確かめてやろうと、それだけを思って生きてきました。死ぬこと以外で考えていたのはそれだけでした。

結局……。結局手前らは、俺が女をバラしてやらなきゃ、俺の、俺の話なんか聞きはしない。きちがいだ、気持ち悪い、不気味だと言って遠ざけて、蹴って、殴って、それだけだ。母親でさえ俺を捨ててどこかへ行きやがった。こんな風に生まれたいだなんて思って生まれたわけじゃない、こんな風になりたいだなんて思ってこんな風になったわけじゃない。なのにみんな俺を無視しやがる。俺に優しかったのはあの女の鮮血だけだ、内臓だけだ!血に、内臓に触れることでしか快感を得られないなら俺はどうすればいい!そんな風に生まれたのか、そんな風になってしまったのは知らない、そうする以外どうしようもない俺はどうすればいい!きちがいは、異常者は、どうやって生きていけばいいんだ!社会なんざ、正常な人間の正常な人間による正常な人間のためのものなんだろう!ならこんな俺はどうすればいいんだ!



確かに受け取りました。私の知人の話をしましょう。私の知人は、今思えば、きっと、生まれ持った異常者でした。先天性の……肌色に覆われたその内側が見たくて見たくてたまらないと言っていました。彼は今、執刀医として非常に優秀な人材の一人です。友人は少ないですが、その技量は買われています。

他に何か、言いたいことはありますか。満足しましたか。



はい。





本当に、物騒なニュースばかりね。


母がそう呟いた。テレビはある殺人犯の手記を特集しているようだった。


女の人を殺す以外、楽しいことがないなんて、恐ろしいわ。


お母さん。それしか楽しいことがないなら、この人はどうすればいいの?この人は、どうすれば救われるの?


それは……。


話を聞いてあげるのよ。きっと、誰も彼の話を聞いてあげなかったのよ。あなたも、学校で何があったとか、サッカーの試合がどうだったとか、私に話してくれるでしょう?


うん。


そうしたら、それだけでけっこう、嬉しかったり、満足したりするのよ。私だって、あなたに自治会でのこととか、聞いてもらってるしね。


そうだね。


僕は、学校の授業で描いた家族の絵を手渡した。それは頭に脳を、身体に内臓を描いたものだった。母は、笑っていた。

2021年7月30日金曜日

ブログのタイトルを変えた~実存主義を語ろう

 変えた。ブログというか、そもそもなんでも異常に思考することに喜びを感じる人間がそれをアウトプットする場所としてトゥイッター(ひろゆき)の次に使うという、そんなようなものだった。が、今や別に意識高い系でも無職なんでもないただの読書好きの非正規雇用のおじさんなのでこのようなタイトルになった。意味はあまりない。ただ、名づけるという行為にはやはり何か実存主義的(0.02mmの意識高い要素)な意義を見出したことは間違いない。本質的意味合いを造物主が与えるのだから。


さて、この実存主義という言葉は最近俺を悩ませている言葉の一つだ。哲学において頻出する言葉で、初見では誰にも意味が分からないということだけしかわからないウザい言葉。

考えてもわからないならこういう時はゆとりらしくWikipedia先生に訊いてみよう。なぜって、Google先生に訊いたら「彼に訊け」と言われたからね。自動的にそうしよう。ところでこのフランス産ラム酒はずいぶん善く酔えるなあ。


引用)

実存主義(じつぞんしゅぎ、フランス語: existentialisme、英語: existentialism)とは、人間の実存を哲学の中心におく思想的立場。あるいは本質存在(essentia)に対する現実存在(existentia)の優位を説く思想。

実存(existenz)の当初の日本語訳は「現実存在」であったが、九鬼周造がそれ(正確には「現実的存在」)を短縮して「実存」とした(1933年(昭和8年)の雑誌『哲学』内の論文「実存哲学」においてのことであり、可能的存在に対置してのものである)。語源はex-sistere(続けて外に立つの意)。何の外にかといえば、存在視/存在化されたものの外に、ということである。「実存」についての語りで習慣的にまず言及されるキルケゴールが、デンマーク語で主張した「実存」は、やはりラテン語出自でExistentsである。ドイツ語では、ラテン語からの外来語としてExistenzがあり、一方、土着の語としてはDaseinが相当する。しかし、前者のほうが日常的頽落性にもある後者よりももっと、実存の持つ、自由へ向かった本来性という様態に特化して使われている。



意味不明である。



哲学を知らないにも関わらずこの文章の意味が分かった人は今すぐハーバード大学を受験するか俺の目の前から消えていただきたい。日本語で構成された文章にも関わらずまるでアラビア語でも観てるかのような気分になるのは哲学あるあるだ。つーか、わからせる気があるのか?なんだか嫌味な文章に思えてくる。ハゲた風俗狂いの説教臭い講師が頭をよぎった。



少しだけ意識高い系の神経細胞を呼び起こして説明するならば、これはつまり人間というのはスプーンやフォークのように役割を持って生まれるのではなく、自らの意志で極めて自由に自らを定義できるといったような意味合いである。例えば、スプーンはスープを掬ったり目玉を抉り出したりするために造られる。フォークだってそう。食べ物に刺して口に運んだり、なんか、やっぱり眼玉を抉り出すために造られる。こうするために造った、というのが道具にはあるのだ。その一方で、人間はそうじゃなく、生まれてきた意味を自分で見出すんだよってことを言ってるのである。


そんなのあたりめーだろって思うかもしれないが当たり前じゃない人が時々いるから悲劇なのだ。日本の象徴足る彼、彼女はつまりある側面においてやはり悲劇的だ。それが日本の象徴ならなおさら……いや、話が逸れた。みんなそうでしょう、私ってなんなんだろうって終電で思いながら転寝をするのでしょう。


別に、そんなの知らん、お前が決めろよお前の事なんか。お前はお前なんだから。って言ってるのが実存主義で、そんなの当たり前じゃんって思えるのはそんなことを考えてくれたクソ頭の良い狂人あるいは天才のおかげだということを、なんか、どっかの機会で大声で叫びたいが留置所生活は地獄なのでここに書くだけにとどめておこう。そもそも大体実存主義で有名なのはサルトルってジジイだけど、それ以前以降にも様々な形でそんなようなことを言っていたジジイは多くいたことをまずこの場でご留意いただきたい。だって、ほら、昔の欧州ってのは、サ。キリストが、なんか、すごかったから、サ。それに対するアンチテーゼがつまり神からの遺志の解放、自由意志の影をより色濃くしたって、ワケ。日本にいるとあんまり実感ないけどね。


そいで、なんで急に実存主義?って人もいるだろうけど、古来より精神的パラダイムシフト(なんでもいい、ショッキングなことがあったりとか)があるとどうしても人々は哲学に縋るようになる。あれ、こういうふうにしてたら救われるんじゃないの?こういうふうにしてたら間違いないんじゃないの?って思って生きてるところに戦争とか貧困とか伝染病とか、とかとか。そういうことがあると最終的にそれを解釈する脳、あるいはそれを観る目玉をどうにかしないとやってられねぇよなってわけで思考法に人は縋るのである。だから意識高い人からするとアドラーの嫌われる勇気がベストセラーになった時は絶望と共に冷笑したものである。かくも人は人に悩み、かくも人は労働に悩み、かくも人は、ああ、脆いものだと。ピラミッド建設に携わった奴隷でさえ雨の日はサボりパンとビールを楽しんだのにも関わらずと。でも、労働者足るとそうだよなって思う。そうであることにも喜びを感じる。とっくにくたばった狂人が現代人の、国籍も何もかも違う自分にぶっ刺さる言葉を残してくれていたことに限りない喜びを感じる。イってるかもしれない。言葉は、言霊はやはり時を超越する。フロムの宮崎もそう思ったんだよなあ!?わかる、ああ、わかるぞ俺に今お前の思想が!!!!!!!!!!



……一度、深呼吸をしよう。大体18世紀から21世紀あたりの哲学者達が今の俺たちのために言葉を遺してくれたのは間違いない。労働はいつの時代もどこの国にもあったのだから、そこに哲学が生まれるのは必然だ。あるいはそうあるべきだ。人間には余りにも大きな脳があるのだから。なんなら、紀元前ギリシャ(希臘表記が好み、ともはね)、紀元前中国(歴史がどうとかイキってるけど名前変わりすぎだろ××ック!)から思想や遺志は時を超えて俺たちを勇気づけてくれる。欺瞞かもしれない、独善的かもしれない。しかし、それは実存主義的に言えば俺たちのための言葉なのだ。さあ、労働者、proletariat、農民よ、鎌と槌を交差し立ち上がろう!いざアダム・スミスの智慧の元に、いざレーニン、マルクス主義の下に!僕からは以(ry 手記はここで途絶えている。この地下室に残されたいたのは、この手記と瓶、灰皿と-前頭葉-スマートフォンのみであった。

2021年7月8日木曜日

Soundcore Liberty Air 2 Proのレビューをする

 前回の記事がトップにあるのは本当に恥ずかしいのでさっさと記事を書いて下方へ押し流すことにする。タイトル通りだが、Soundcore Liberty Air 2 Proを買ったのでレビューする試み。



これである。あいぽん12miniと同じカラーリングでデザインは完全にうどん(Airpods)に寄せているのがわかる。うどん使いたいけど高いよねぇ!?ウチらの使っちゃいなYOというAnkerの優しさというか商売っ気が見え隠れしている。


先日のAmazonでのセールでかなり安くなっていたこともありセール中に買った人やビビって買わなかった筆者のようなチキン野郎がおり、後者はきっと前者のレビューを参考に買うか否かを迷っているのではないだろうか。


そこで今回は一応音にはうるさいと自負しているだけのただの神経質なおじさんが本機をレビューしてみる。なお筆者はiPhone12miniでNuarl NX01AXを使っていたのでつまりそういう耳の持ち主だということをご留意いただきたい。


デザイン


うどんである。4色のうどん。形状としては実は少し難があって、もともとNT01AXをけっこう耳の奥までイヤーピースを押し込んで使っていたためか本機は全然奥まで入らず「コレちゃんと入ってるのか?」という感じが続いた。短小を相手にした女の子と同じ気持ちである。この"全然入ってない感じ"の正体はもう一つあって、付属のイヤーピースが柔らかすぎてもう全然よくない。サイズがめちゃくちゃ豊富なのだがそれはそれとしてふにゃチンで短小と来たらもうアタシの耳穴を満足などさせられるわけがない。デザインという項目から少し逸脱してしまったがつまるところ本機の形状と付属のイヤーピースが相まって「嘘だろ……」って装着感なので一緒にイヤーピースを購入すべきだ。他のレビューでもよく言われてるし。



音質


イヤホンにとって一番大事な部分。かつ、筆者にとっても一番大事な部分で、2年前はあまりまともな音質のトゥルーワイヤレスイヤホン(ケーブルの一切ないBTイヤホンのこと)がなく満足したのがNT01AXのみであったほど。本機で音楽を適切なイヤーピースと適切なイコライザ、適切な時間聴いた結果、なんか、あんまよくない。そこらへんのSoundcore Liberty Air 2 Proマンセー記事では果たしていくらもらったのか、そもそも耳が聞こえないのか知らないが、なんか、お前ら、死にてえのか。もちろん音質とはそもそも個人の趣味嗜好に大きく左右される部分ではあるが構造上音がしっかり分離できてないという感性に依らない部分で言っても正直良いとは言えない。この値段ならもっといい音質のものがあるよ……と思った(つまりパーカッションがあーでこーでベースがあーでこーで音同士があれしてるのである。わかるだろ)。


ノイズキャンセリング


ノイズキャンセリングというのは簡単に言えば雑音に対してその逆の音をぷにっと鳴らすことでその音をかき消すという理論はわかるけど天才かよと思ってしまう技術である。本機はこれを交通機関、屋内、屋外、カスタム(よくわかんない、ごめん)から選べる。筆者は馬鹿なので通勤時45分くらい歩くのだが、屋外ノイズキャンセリングを使ってもなんか別に、車の通りすぎるぶおぉおんとか消えないし、そうなんやって感じであった。しかし帰りは這うくらいしか体力がなかったのでバスに乗って交通機関モードを使ったところ、バスの駆動音が消え、精神と時の部屋にいるのかなという感じになった。バスでこれなのだから電車で使った場合はすさまじい効果を発揮するものと思う。どちらかといえば電車通勤、バス通勤の人には強くお勧めできる機能だ。しかし少し音質を犠牲にする。技術の発展を祈ろう。



他にもイヤホンを外したら自動で止まってつけたら自動で再生するとか、アプリ内で健康診断の聴力検査みたいなことをしてオメーの耳で全部の音を聴くならこういうイコライザになるぞって勝手にやってくれる機能とかがある。筆者は大体決まったイコライザにしてるので使っていないがイコライザいじるとか知らんわって人にはいいと思う。このアプリではほかにもボタンの割り当てとかスマホによってはウィジェットを設定出来たりとけっこう多機能でどちらかと言えば音質よりもこういったユーザビリティに特化していることがわかる。


他の音質にうるさいレビュアーも書いていたことだが、音質以外の部分はかなり評価が高いしイヤホン全体の技術の進歩を実感できる。一方で俺はガチで聴くぞって人にはあまり本機は向かないだろう。でも筆者はとりあえずこの子を使い続けます、かわいいので。僕からは以上!

2021年7月6日火曜日

ここ数日の事、雑筆

 大体もう郵便局っていうのは今が繁忙期でこうなると俺は酒を飲みながらぐだぐだなんかして時折こうして文字を書くことが癒しになる。大脳が異常に思考するタイプ(こういう奴はダウナー系の麻薬に酔う)は労働中も労働的な何かをしている時も主観客観、虚像実像、認識と誤認についてぐねぐね考えるわけで、睡眠ぐらいでしか脳が安らがない。ので、執筆中のこの俺は今まさに飲酒による酩酊を楽しんでいることをご留意いただきたい。


認識について

古代ギリシアからプロイセン、ドイツ帝国に現在までに哲学とか精神医学とかそういった極めて形而上学的な、あるいは観念論的アリストテレスismに対するアンチテーゼは……また、ユダヤ、基督の教えに対する反論もそれらに内包する形で隆盛を続けたわけだが、その中でもこれはphilosophy、精神医学、それらの前後に対して随分と影響を与えたなと思ったのはカント哲学である。大体彼も哲学者のうちに謂われる狂人の域に浸かっていたのだが、それ故かそもそもの認識、五感、形而上学といった学問の選別に貢献したという意味でやはり彼の生まれ以前、以後でこそあらゆる学問、文化、文明は認識において変容したといえる。

時に人は、全く面倒なことにずいぶんと多種多様である。これが本当に面倒なことで、ある側面において似た人はいても全く同じ人はいないという点が実に煩わしい。そういった多様性に着目し、多様性足る"かつて"にフロイト、そしてフロイト学派は着目し無意識や夢に人の本質を見出したのだが、それらの認識の認識、カント哲学的に言えば五感の限界に於いての認識を認識する、という点であれば人の多様性に対してのアンチテーゼはむしろ霧消するのだと思う。

ユング的に、アドラー的に思案するのであれば意識とか心とか欲求とかそういった目玉に宿らぬ観念論的概念は正しく反唯物論的に人に宿るものである。だからこそ中世以降、近代、ないし現代の"当然のmeme"は受け継がれるのだろう。五感に依らぬ物は正しく唯物論的であって、しかし人の思考に於いてのみ(微かに)具現化する。誰もがそれを在ると信じ、そしてそれらが大脳のうちを占める多くのシナプス、神経細胞のたぐいに依らぬと思うのであれば、それらはきっと個々人の思考に依らない純粋な、極めて包括的なmemeであるはずだ。

大体18世紀以降の労働論、人文学、それらに依る文化文明に於いてアダム・スミスの国富論に於いて説いた見えざる手を根拠とするならばやはりカント的形而上学のたぐいは学問、非学問の境界を冒し得ない。何故なら行動経済学を初めとした諸々の人文学、あるいは人文学的心理学的考察のたぐいはやはり五感を超越した何らかのsenseにのみ映し得る事象だからだ。この感覚を一つの感覚として理解するのであれば19世紀以降のあらゆる学問には相応の反論があるべきで、人の知り得る範囲を定める、それらを極めて数学的に理解できるのであれば(あるいは多くの人がそう出来るのであれば)これらはカントの説く学問と非学問の境界を曖昧なものとする。



こういうことを考えながら労働をしています。もう僕は酒に溺れこれ以上の筆致は望めません。どうかこれを読みなんか思い、思わなかったりすることこそが僕の人に想う希望そのものと言えるでしょう。僕からは以上

2019年10月3日木曜日

小蝿滅亡記【コバエ、ノミバエ駆除の記録】

こんにちはと言いたいところなんですがどうして返ってくるわけもない挨拶をしなければならないのだろうという子どもみたいな疑問がよぎってしまい文面で挨拶をする意味がわからなくなってしまいました、僕です。


さて、実は一人暮らしを始めてもう3ヶ月。梅雨時に引っ越しをした僕は極貧生活の中である問題に直面していました。


小蝿です。なんだ小蝿かよと思うかもしれませんがこいつは汚物以下のクソムシで、飯を食ってれば飯にダイブ、コーヒーを飲んでればコーヒーにダイブ、低学歴っぷりをこれでもかと発揮し数日でストレスマッハ。なぜか僕にたかってきたりしてついには小蝿の幻覚さえ見える始末。死ぬほどウザいし、実際死んでしまいました。


でも転生した今ではもう小蝿に悩まされることはありません。なぜなら駆除に成功したからです。きっと僕のように小蝿に悩まされ職場で虐げられ一人震えることしか出来ない人もいるでしょうそんなあなたのために小蝿駆除の方法をお教えします。コンギョ~コンギョ~(適当)


ポイントは3つ。

・小蝿の種類を特定する

・繁殖場所を特定する

・清潔にする


まずは小蝿の種類を特定しましょう
敵を知らねば対策のしようがありません。生きる価値のないゴミ虫にも種類があります。大きく分けて目が赤くトロいショウジョウバエ、便所とかによくいるハート型の羽を持つチョウバエ、目が黒く足が長く非常に素早いノミバエの三種類。

ショウジョウバエはコバエ駆除グッズ全般で死に絶えるクソ雑魚で、生ゴミなんかに集まります。生ゴミは基本冷凍庫にでも入れて、清潔に保っておけばいいでしょう。

チョウバエはトイレなんかの水回りに出没します。下水管からやってくるのでそこまで意識して掃除してあげてください。



さて、問題はノミバエ。red bigにせざるをえない。こいつのせいで今の今まで覚めぬ悪夢に囚われていた。こいつが現れるのであれば長期戦を覚悟してください。というかうちに跋扈したのはこいつだし実際悩んでる人も多いはずなので今回のメインはこいつです。

ノミバエは前述の通り目が黒く後ろ足が長い、大変素早く排水管や生ゴミ、下水管などどこからでも湧きます。その上普段気づきにくいところに卵を産み無尽蔵に増殖を続けます。しかもクソ早いのでまず目視からの圧殺は不可能。更に恐ろしいことに、コバエ駆除グッズがほとんど効きません。自分が食ってるものに卵を産み付けられれば体調を崩します。クソゲーだろこいつと思った人もいるでしょうが、クソゲーです。自前のめんつゆトラップやコーヒートラップでもあまり捕れません、なぜならこいつら自身にも好みがあるから。(ショウジョウバエには効果ありとのこと)


そこでまず、ノミバエの発生源を突き止めます。基本は風呂やトイレ、水回りやゴミ箱……エアコンもある。とにかく水回りを清潔にし、キッチンはえげつないくらい掃除します。料理の後はなるべくすぐに皿洗いを済ましてそのあとゆっくりしてください。三角コーナーは撤去して生ゴミは冷凍庫!こうすることでノミバエは生存、繁殖するための栄養を失い死に絶えます。下水管とかからやってくるのでは?と思うかもしれませんが来るメリットがなくなるのであまり来なくなります。


ちなみに僕の場合は水回りとキッチンを清潔にしたらほぼいなくなりました。が、つい先日からまた大繁殖していてなんだと思ったら洗ったあとの豆乳のパックを苗床におぞましいほどの卵が見つかりSAN値ゴリゴリのままなんとか駆除した次第です。この分だと洗った牛乳パックを放置しておくのも危ないのかも。なるべくさっさと切り開いて乾かしたいものです。


とはいえ、まずは今いるコバエをなんとかしたい!そんな時は電撃殺虫器を買ってください。Amazonでやっすいやつを買ったら寝るときにつけてバチバチと死んでいくその様はまさに飛んで火に入る夏の虫。コバエ駆除グッズが効かないノミバエでも(今この瞬間もよい音とともに死にました)習性からは逃れられません。ついでにコバエ以外の得体のしれないなにかも死んでくれるので一石二鳥ですね。


いかがでしたか?(適当)コバエと言っても種類があり、習性を逆手に取れば皆殺しにできるのです。これからは皆さんもコバエなき生活を楽しんでくださいね。僕は今からどうやって入ってきたかわからない蛇をなんとかします。地獄で会いましょう。僕からは以上!

2019年8月15日木曜日

ラブクラフト全集読書中

ブログを更新しないまま1年が経とうとしてるし、最後にホモセックスしてから3年が経とうとしています。
ババアまみれの職場と虫(むしって打とうとして虫が本当に無理なのか7回もむりって打ってしまった)まみれの賃貸でなんとか正気を保つために相変わらず小説が役立っています。
特にブラッドボーンをプレイ→ラブクラフト全集に手を出す流れは王道。ブラボ自体クトゥルフボーンみたいなもんだし。

ラブクラフト全集は翻訳がどうとか、読みづらいとかいうふうに聞いていたけど多分ラノベしか読まないうえ漫画とかアニメで名前だけクトゥルフを知ってた天パ眼鏡童貞がそのような評価を下したものと思います。古代ギリシャ哲学とかどいちゅっちゅ哲学とか読んだら発狂死するんじゃなかろうか。いずれにしても、活字に慣れてるのであれば全く問題はないのでご安心を。

とりあえず感想自体は随所で述べて行きたのだ。全集とあるとおりケツまで非常に遠いため最後に感想を書いていたらそれだけで一冊書けてしまう。とりあえずふわっと感想を書いていきたいと思います。さあまずは『インスマスの影』。

インスマスの影はブラッドボーンでいうところのヤーナム(よそ者にクソ冷たいカス田舎者のスラム街という共通点)、あるいは漁村、上位者や旧支配者(海、あるいは深海からやってくる)なんかが酷似……酷似っていうかそのへんの設定を拝借した感じ。そもそもインスマスの影はラブクラフト全集のアタマに相応しい作品、忍殺でいうところのキルゾーン・スモトリくらいその作品全体のカリカチュア足らしめている。ちょっとした逃走劇があるって点では特殊だけど。

追記:インスマスの住人は人ならざる者であり、二足歩行ではあるが海洋生物を思い起こさせる身の毛もよだつ顔面をしている。これについてはセイキンをイメージしていただきたい。

とある街の噂から始まって街の様々な異常性、刻々と昏さを増す影、おお、このいつの間にか追い詰められていく感覚が素晴らしい!ミステリーの一面を持ちながらホラーの側面も具えているがこれは簡単なことではない。探索パートと会話パート、おお、この会話パートは本当にぞくぞくとする。きちがひを思わせるアル中ジジイの言うことには、ただの異常者の独り言と片付けることのできない、なにか魅力が、真実味があった。それはインスマスの秘密。そして……ああ、あまり詳しくは言えないけれどこのジジイが突如旧支配者の名を叫び、崇拝し、発狂してしまった時はまたぐらがいきりたつほどだった。少なくとも翻訳がどうとかは思わなかったし、むしろ素晴らしいものだった。オタクは馬鹿だな。

この作品の興味深いのはラブクラフトの作品に色濃い"血"の恐怖である。自分もどうやらその異常者どもと変わらなかったと判明するところの気持ちよさは異常。これは日本人にはあまりない感覚かもしれないが、特にアメリカ人であるラブクラフトにとってはらしいといえばらしいもの。そしてそれをじわじわと匂わせる筆致はエロそのものだった。ちなみに他の作品でも自分が最後には異常者だったとか、怪物と同じ血を継いでしまっているとかがまぁまぁあった。いわゆる信用できない語り手というやつだ。語り手である主人公が狂っていた、犯人だったというのはアガサ・クリスティのアクロイド殺しで有名だが、日本でいえば夢野久作のドグラ・マグラなどでも見られる。あとオタク向けにいえば幻聴や錯覚のたぐいはひぐらしのなく頃にとかでもある。ある意味幻聴や幻覚は語り手にとっての真実なのだから仕方がない。こういうの、すきだよ。

クトゥルフ神話とは名ばかりで、ミステリーの裏に蠢く全く人智の及ばぬ圧倒的な力、宇宙悪夢的支配者の数々、狂気はもうなんかめっちゃ気持ちいい。単純に読み物として面白いのもあるが、名前の聞いたことがある旧支配者や発狂する人々、またなぜか表現(宇宙悪夢とか)が出るたびにやにやしてしまう。まだ全集1しか読んでないがこのまま読み進めようと思う。特に書き残すこともないので、僕からは以上!