【地下室の手記】1864年くらい
【作者:ドストエフスキー】
ドストエフスキーの全作品を解く鍵と称される本作。内容はまさしく手記のそれ以上でもそれ以下でもない。なので実はあまり紹介する内容がないっちゅーことでかなり困っている。超噛み砕いて説明すると「非リア充の連投ツイート集」。いや……あらすじをどうぞ
あらすじ
(前半)40歳の「僕」はかつて意地の悪い小役人だったが遺産が転がり込んだのをいいことに退職、ここ20年は地下室で暮らしている。自称「意地の悪く病んだ人間」の僕は、自意識過剰で、悪人にも聖人にもなれないことを嘆く。僕は地下室に閉じこもり社会を、人間を批判する。汎ゆる計算式が敷衍され、全ての人間が合理化される時が来るとは到底思えない。結局人は気ままに恣意を欲して調和を乱すだろう。
(後半)濁り気味なぼた雪が僕に追憶させる。僕の若い頃の体験、その3つだった。
24歳で役人として働いていた僕は自意識過剰で疎まれがちだった。友人の送別会では一同を激怒させ、娼婦を意地悪く罵り…………現在のこの僕はどうにも後味が悪くなりこの「手記」を打ち切る。
……地下室の手記というタイトルだが、もっと確り言えば在る男の地下室で見つかった手記といったところか。前半部分は兎に角自分の思うままに、とは言え非理性的にある意味でまどろっこしい文章が書き連ねられている。自分を意地の悪い駄目な奴だとわかっていながらもそれを是正するわけでもなく半ば諦めがちに地下室で生きる。統合失調症とか、人格障害に顕著な例だけども、この僕と自分が重ならない人はいないのでもうほとんどの人の精神は不健康極まりないんではないか。僕だけか?いや、貴殿も……。というか日本人はだいたいこの僕とそれなりに重なるはずだ。だから読み進めてしまう。自らの綻びを解いていくように(ここちょっとかっこいい言い草、使う時はCを丸で囲んでください)
この僕のキャラクターは特に人間が目をそらしている部分を凝縮し抽出し凝固させたような人格。滅茶苦茶に自意識過剰でプライドだけは見上げるほど高く斜に構えなんでも批判する。そうして自分を守っている。誰かを認めたり褒めたりすると途端に自分の株が下がる気がするからだ。前半で自分を卑下し人々を鋭く批判する一方、後半では批判する人々に自分自身が含まれている。あなたはこの僕の愚かさを、本当に心から笑えるだろうか?本当に侮蔑し卑下することを厭わないだろうか。僕からは、以上です。
2017年6月20日火曜日
2017年6月15日木曜日
【書評】不道徳教育講座【三島由紀夫】
【不道徳教育講座】1959年3月16日(前編)
1960年2月5日(続編)
【作者:三島由紀夫】
(ウイスキー飲みすぎてめちゃくちゃな記事になってたので2日後くらいにしっかりとした形に編集しました)
憂国、仮面の告白、潮騒などの純文学からは想像も出来ないほど愉快痛快なエッセイ集。不道徳と称しながらもどこか本質を見定め社会を風刺するその筆致はこの僕事無職を始め今なお多くの著名人(要出典)に評価されています。めっちゃ簡単に言うと今なお読んでもおもしれぇエッセイ集です。しかも自衛隊駐屯地で自殺した人の。もともとは雑誌で掲載されてたエッセイを纏めたもんですね。
三島由紀夫っちと言えば、けっこうお硬い印象があるかと思います。日本純文学の境地である『憂国』。日本人の日本人による日本人のための『金閣寺』。そして太宰治を嫌う彼を知ってしまえばその根底には"日本男児"の"真髄"があったように思えてしまう。けれど、この作品に観られる彼はユーモアに溢れたある種フランクな三島ゆっきーでした……。まぁこれの三年後に自決するんすけど。
そいでは70に渡る三島由紀夫のおかしな教えから個人的に好きなのを3つ紹介しませう。
若者に告ぐ!教師を内心馬鹿にすべし!
戦後数年の日本教師は"絶対"の存在でした。そんな時代にこんなタイトルですから「何言ってんだこの武士!?」と思ってしまう。教師を尊敬すべし!ではなく内心馬鹿にすべし。刺激的なタイトルで引きつけてその理由を三島ゆっきーは淡々と軽快に教えてくれます。上辺では教師に媚びへつらうがいい。けれど生徒が将来戦う大人は教師ほど甘くはない。蹴落としあう運命ですからね。しかも教師なんか薄給で生徒と生徒の親、そして学校側から板挟み。内心は馬鹿にしつつ、教師の授業だけは真面目に聞いて知識だけ吸い取ってやれ!ということですな。そして野心を持ち教師の給料を超えてやるのです!
童貞は一刻も早く捨てよ!
もの凄く噛み砕いていうと、童貞なんか取っておいても意味ないよ!女が擦り寄ってきたらかまわずやっちまえよ!なぜならば……!という教え。30歳童貞とかになるともうどうしようもなかったりするじゃないですか。もう女性がなんなのかわけがわからないしだんだん遠い世界の存在のように思えてくる。そうして無理解は無茶な理想に変わってしまい手遅れ……と。この事実はいつの時代も変わらんみたいですね。
告白するなかれ!
自分の本当の姿、本当の気持ちを何もかもさらけ出して誰かに愛して貰おうなど、笑止千万!そんなものは甘え、あるいは弱さにすぎない。人間の核心はいつも不気味で淀んだものです。老若男女問わずね。それを見せるのはある種暴力的なもんです。思春期には淀み大人へと変貌していく内面に当惑しそれをさらけ出せないことに苦悩するものですが、やっぱり確りとした大人はこれを覆い隠し美しく着飾り装う。素直が一番?うるへー!
さてさて、この時点でけっこう面白い不道徳教育講座ですが、この講座はあと67もあります。随分昔に書かれたのになんでこんなにおもしろいのか……三島ゆっきーの持つ多角的視点の成せる技でしょうね。読み始めたら止まりません。
ここからは今回初登場した三島由紀夫に触れつつエンディングです。
三島由紀夫と不道徳教育講座
三島由紀夫は数々の名作を、小説、エッセイ、戯曲、映画で世に送り出してきました。そして三島事件による自決などなど、今なお語り継がれる男なのです。んで、そんな彼を紐解くに値する本が……えーと、これ。話らしい話のある小説には作者のしょうもない部分はあまり見えないものです。けれど、本書には居酒屋で彼がウヰスキー片手に語ってくれるような、面白おかしい"教え"があるのです。小説として伝えるほどでもないが、酒の席で語るような……え、僕無職なのに言葉選び下手すぎ……?わかって(語彙0)。冗談めいてるけどどこか本質的なメッセージ。うんこれがいい。
無職のあとがき
三島由紀夫が好きです。三島由紀夫がすげぇ好きです。彼の思想そのものを崇拝するわけじゃないけど、彼の生涯、作品、そしてその最後に至るまでの生き様は狂気的なまでのナルシシズムとエゴイズムを苗床に成り立っています。「憂国とかを書いた文豪」「駐屯地で割腹自殺した国粋主義者」「美輪明宏さんの友達」「石原慎太郎の旧友」これが僕のかつて彼に抱いていた印象でしたが、これを読んで随分印象が変わりました。最近映画にもなった「美しい星」というSF作品があるんですが、これを読んでもやっぱりこの人は天才だと思ってしまいます。まるで三島由紀夫って集団がいるんじゃないかと思うくらい人間としての幅が広い。天才って意味では彼自身自覚もあったらしいしね。もうコレ以上は駄文書き連ねちゃうしこのへんで僕からは以上!
1960年2月5日(続編)
【作者:三島由紀夫】
(ウイスキー飲みすぎてめちゃくちゃな記事になってたので2日後くらいにしっかりとした形に編集しました)
憂国、仮面の告白、潮騒などの純文学からは想像も出来ないほど愉快痛快なエッセイ集。不道徳と称しながらもどこか本質を見定め社会を風刺するその筆致はこの僕事無職を始め今なお多くの著名人(要出典)に評価されています。めっちゃ簡単に言うと今なお読んでもおもしれぇエッセイ集です。しかも自衛隊駐屯地で自殺した人の。もともとは雑誌で掲載されてたエッセイを纏めたもんですね。
三島由紀夫っちと言えば、けっこうお硬い印象があるかと思います。日本純文学の境地である『憂国』。日本人の日本人による日本人のための『金閣寺』。そして太宰治を嫌う彼を知ってしまえばその根底には"日本男児"の"真髄"があったように思えてしまう。けれど、この作品に観られる彼はユーモアに溢れたある種フランクな三島ゆっきーでした……。まぁこれの三年後に自決するんすけど。
そいでは70に渡る三島由紀夫のおかしな教えから個人的に好きなのを3つ紹介しませう。
若者に告ぐ!教師を内心馬鹿にすべし!
戦後数年の日本教師は"絶対"の存在でした。そんな時代にこんなタイトルですから「何言ってんだこの武士!?」と思ってしまう。教師を尊敬すべし!ではなく内心馬鹿にすべし。刺激的なタイトルで引きつけてその理由を三島ゆっきーは淡々と軽快に教えてくれます。上辺では教師に媚びへつらうがいい。けれど生徒が将来戦う大人は教師ほど甘くはない。蹴落としあう運命ですからね。しかも教師なんか薄給で生徒と生徒の親、そして学校側から板挟み。内心は馬鹿にしつつ、教師の授業だけは真面目に聞いて知識だけ吸い取ってやれ!ということですな。そして野心を持ち教師の給料を超えてやるのです!
童貞は一刻も早く捨てよ!
もの凄く噛み砕いていうと、童貞なんか取っておいても意味ないよ!女が擦り寄ってきたらかまわずやっちまえよ!なぜならば……!という教え。30歳童貞とかになるともうどうしようもなかったりするじゃないですか。もう女性がなんなのかわけがわからないしだんだん遠い世界の存在のように思えてくる。そうして無理解は無茶な理想に変わってしまい手遅れ……と。この事実はいつの時代も変わらんみたいですね。
告白するなかれ!
自分の本当の姿、本当の気持ちを何もかもさらけ出して誰かに愛して貰おうなど、笑止千万!そんなものは甘え、あるいは弱さにすぎない。人間の核心はいつも不気味で淀んだものです。老若男女問わずね。それを見せるのはある種暴力的なもんです。思春期には淀み大人へと変貌していく内面に当惑しそれをさらけ出せないことに苦悩するものですが、やっぱり確りとした大人はこれを覆い隠し美しく着飾り装う。素直が一番?うるへー!
さてさて、この時点でけっこう面白い不道徳教育講座ですが、この講座はあと67もあります。随分昔に書かれたのになんでこんなにおもしろいのか……三島ゆっきーの持つ多角的視点の成せる技でしょうね。読み始めたら止まりません。
ここからは今回初登場した三島由紀夫に触れつつエンディングです。
三島由紀夫と不道徳教育講座
三島由紀夫は数々の名作を、小説、エッセイ、戯曲、映画で世に送り出してきました。そして三島事件による自決などなど、今なお語り継がれる男なのです。んで、そんな彼を紐解くに値する本が……えーと、これ。話らしい話のある小説には作者のしょうもない部分はあまり見えないものです。けれど、本書には居酒屋で彼がウヰスキー片手に語ってくれるような、面白おかしい"教え"があるのです。小説として伝えるほどでもないが、酒の席で語るような……え、僕無職なのに言葉選び下手すぎ……?わかって(語彙0)。冗談めいてるけどどこか本質的なメッセージ。うんこれがいい。
無職のあとがき
三島由紀夫が好きです。三島由紀夫がすげぇ好きです。彼の思想そのものを崇拝するわけじゃないけど、彼の生涯、作品、そしてその最後に至るまでの生き様は狂気的なまでのナルシシズムとエゴイズムを苗床に成り立っています。「憂国とかを書いた文豪」「駐屯地で割腹自殺した国粋主義者」「美輪明宏さんの友達」「石原慎太郎の旧友」これが僕のかつて彼に抱いていた印象でしたが、これを読んで随分印象が変わりました。最近映画にもなった「美しい星」というSF作品があるんですが、これを読んでもやっぱりこの人は天才だと思ってしまいます。まるで三島由紀夫って集団がいるんじゃないかと思うくらい人間としての幅が広い。天才って意味では彼自身自覚もあったらしいしね。もうコレ以上は駄文書き連ねちゃうしこのへんで僕からは以上!
2017年6月1日木曜日
【雑筆】ドストエフスキーがやばい
ドストエフスキーがやばい。古代ギリシャの翻訳本なんかを読んでても思うことが、とにかく翻訳が……いや……あまり……さぁ、その……上手く……ない……かも……?
というのも、日本語はかなり独特な原語で、ラテン語の種から芽生えた言語(伊、独、仏、その他たぁくさん)とは"遠い"。要は言語としての構造、文章の作り方がかなり違う。ドイツ語は近いけど……そんなわけで日本語に訳しにくい言語ってのがあるんです。
で、たとえば哲学なんかは日本語で作られた文章でもかなり難解になる傾向がある。所謂なんか難しそうな本ってやつ。じゃあ元々ロシア語で書かれた哲学書(あんまりないけど)は日本語訳されてるけど日本語としてはいびつで、恐らく大枠翻訳されてるけど100を100のまま翻訳するというのは不可能なわけです。
つまり僕が何を言いたいか?わざわざ記事を投稿するのはなぜか?決まっている。翻訳のジレンマ、壁、言いたいことはたくさんある。要はドストエフスキーがやばいんだよ!
まずね、まずね、まずは今言ったこと。要は言葉がむつかしいのだよ。言葉遣いが古風で難しいから読むのに時間がかかる。僕ら意識高い系はビジネス用語をいちいち検索しながらビジネス書を読み解いてきた。それと似たようなことをまたやってるのだ……。時間がかかね。
NEXT、名前が覚えられない。日本人なら名前も覚えやすいじゃん。アメリカ人もまぁよく聞くし。でもドイツ人の名前はあんまり聞きなれない。なんとかブルグ、なんとかベルン……。じゃあロシア人は?なんとかスキーになんとかコフ。こんな聞きなれない名前の羅列、覚えられないよ!まずここがちょっとキツい。ジョンとかマイケルならいいのに……。時間がかかる。
次に、話がむつかしい。文章じたいじゃなくて、話が複雑。なんでこんなこと描くの?って考えると、やっぱり当時の時代情勢が関わってくる。つまりドストエフスキーの見たもの、感じたもの、伝えたいこと。当時の読者にはすぐ馴染むだろうけど現代の無職こと僕にはあまりにも遠い世界。つまり読むのには時間がかかるなあ……。
最後。長い。強いて言えば「地下室の手記」は割に簡単で読みやすい。難解だけど……「罪と罰」とか「カラマーゾフの兄弟」が長い。長いよほんとに。短編や散文を好む僕にとってこれは問題で、話を忘れる。コイツ誰だっけ?なにがあったんだっけ?ってな感じで、どんどんわけがわからなくなる。まぁ並行して読んでるから悪いんだろうけど、長いから時間がかかるのは当然だよね。
まとめ。この記事の総括。僕の言いたい全て。時間がかかる。ぶっちゃけオラに元気を分けてくれって感じだ。とりあえず一番薄い「地下室の手記」の書評が最初になりそうです。僕のドストエフスキーレビューペンタロジーを楽しみに待っててね!僕からは以上!
というのも、日本語はかなり独特な原語で、ラテン語の種から芽生えた言語(伊、独、仏、その他たぁくさん)とは"遠い"。要は言語としての構造、文章の作り方がかなり違う。ドイツ語は近いけど……そんなわけで日本語に訳しにくい言語ってのがあるんです。
で、たとえば哲学なんかは日本語で作られた文章でもかなり難解になる傾向がある。所謂なんか難しそうな本ってやつ。じゃあ元々ロシア語で書かれた哲学書(あんまりないけど)は日本語訳されてるけど日本語としてはいびつで、恐らく大枠翻訳されてるけど100を100のまま翻訳するというのは不可能なわけです。
つまり僕が何を言いたいか?わざわざ記事を投稿するのはなぜか?決まっている。翻訳のジレンマ、壁、言いたいことはたくさんある。要はドストエフスキーがやばいんだよ!
まずね、まずね、まずは今言ったこと。要は言葉がむつかしいのだよ。言葉遣いが古風で難しいから読むのに時間がかかる。僕ら意識高い系はビジネス用語をいちいち検索しながらビジネス書を読み解いてきた。それと似たようなことをまたやってるのだ……。時間がかかね。
NEXT、名前が覚えられない。日本人なら名前も覚えやすいじゃん。アメリカ人もまぁよく聞くし。でもドイツ人の名前はあんまり聞きなれない。なんとかブルグ、なんとかベルン……。じゃあロシア人は?なんとかスキーになんとかコフ。こんな聞きなれない名前の羅列、覚えられないよ!まずここがちょっとキツい。ジョンとかマイケルならいいのに……。時間がかかる。
次に、話がむつかしい。文章じたいじゃなくて、話が複雑。なんでこんなこと描くの?って考えると、やっぱり当時の時代情勢が関わってくる。つまりドストエフスキーの見たもの、感じたもの、伝えたいこと。当時の読者にはすぐ馴染むだろうけど現代の無職こと僕にはあまりにも遠い世界。つまり読むのには時間がかかるなあ……。
最後。長い。強いて言えば「地下室の手記」は割に簡単で読みやすい。難解だけど……「罪と罰」とか「カラマーゾフの兄弟」が長い。長いよほんとに。短編や散文を好む僕にとってこれは問題で、話を忘れる。コイツ誰だっけ?なにがあったんだっけ?ってな感じで、どんどんわけがわからなくなる。まぁ並行して読んでるから悪いんだろうけど、長いから時間がかかるのは当然だよね。
まとめ。この記事の総括。僕の言いたい全て。時間がかかる。ぶっちゃけオラに元気を分けてくれって感じだ。とりあえず一番薄い「地下室の手記」の書評が最初になりそうです。僕のドストエフスキーレビューペンタロジーを楽しみに待っててね!僕からは以上!
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