2017年7月27日木曜日

【書評】狂人日記【魯迅】

【狂人日記】1918年発行
【作者:魯迅】


ほい、中華っす。和風と洋風ばっかりだったのでたまにゃ短編中華をば。

「狂人日記」というタイトルはニコライ・ゴーゴリの「狂人日記」から内容ともどもゴリゴリ影響を受けてます。
形式としては「ドグラ・マグラ」、「地下室の手記」のように劇中劇でございます。作中の日記がまさしく狂人日記ということです。

短編なので短め軽め概要をドゾー


概要


「日記」にはこう記されている。
今夜は大層月の色がいい。
俺は30年あまりこの月を見られなかった。外に出てみると、なにか周囲の目がおかしい。
どうにも俺を恐れ、噂をしている。俺をやっつけてやろうと思ってるようだ。俺は絶対に悪人ではないのというのに。

昔から人は人を食ってきた。食人だ。ようやくわかった。奴らは俺を食べようとしてる。アニキだって、そうだろう。

俺の口を抑えようとするものがいるが、何度だって言ってやる。集まった奴らに……「改心しろ、改心しろ。人を食って、これからの世界を生きられるはずがない」アニキは「気狂いを見て何が面白い。帰れ」と一喝した。

アニキの妹が死んだのも要はそういうことだろう。四千年間人食いの歴史があるとは知らなかった。「真の人間」は、見出し難い。


……こんな感じです。明らかに精神疾患患者の日記ですね。周囲の目を、果ては身内の目すらも恐れ自分は狙われてる、誰かに殺されるという強固な強迫観念にとらわれる。最近で言うと便利な掃除棒で一躍人気ものになったあの人でしょうか。今はある意味人気者ですねぇ!……すいまえんでした

さて、ただ"おかしな誰かの日記"の割には「食人」という言葉が目立ちます。無職こう思うんだけど、「食人」は儒教思想で、その思想が人を蝕んでいると言いたかったんではないでしょか。発表当時の中国は、清が倒れて中華民国が成立。かと思いきや袁世凱が自ら皇帝になろうして頓挫。今度は軍閥が割拠する等国家としての形を成していなかったと。

そんな混沌とした国、国家を見た魯迅が何を説きたかったか?さっきも言った儒教思想に縛られていた封建主義等に対する批判なんじゃねぇかと。とは言え、中国の歴史を考えると食人という言葉がメタファーだとも言い切れないんですけどね。子は親のために。親はその親のためにという時代遅れな思想は正しく"人が人を食ってる"と言えるのかもしれませんねぇ。かっこよく決まったぞ!記事で一回はこういうかっこいいこと言いたいじゃんか!ほい僕からは以上!

2017年7月15日土曜日

【書評】河童【芥川龍之介】

【河童】1927年発行
【作者:芥川龍之介】

芥川龍之介の自殺、その同年に書かれた作品。どことなく面白可笑しい雰囲気を持っていますが、その実、人間社会、いや人間そのものを寓話的に、痛烈に批判している。物語の語り部は"河童の国に迷い込んでいたと言う精神病患者"です。


あらすじ

或精神病者はこう語る。3年前のある日、登山の途中で彼は河童に出会った。その河童を追いかけているうちに河童の国に迷い込んでしまう。そこは、すべてが人間社会とは真逆で、雌の河童が雄を追いかけ、出産時には胎児に河童の生活について聞かせ、胎児に産まれたいかどうかを問う。胎児が生まれたくないと答えれば即時に中絶が合法的になされる。資本主義者のゲエルは新機械の発明で職工が次々解雇されるが、罷業や社会問題が起きない理由として『職工屠殺法』を挙げ、ガスで安楽死させられた河童の肉を食用にすると言う。唖然とする精神病患者に、「あなたの母国でも第4階級(最貧層)の女性が売春を余儀なくさせられているのだから、食用を厭うのは感傷主義だ」と言い放ち、河童の肉で作られたサンドウィッチを差し出す。哲学者のマッグは『阿呆の言葉』(芥川龍之介自身の『侏儒の言葉』や『或阿呆の一生』の表題のパロディーと考えられる)という警句的著作で「阿呆はいつも自分以外のものを阿呆と考えている。」、「我々は人間より不幸である。人間は河童ほど進化していない。」といった警句を記す。後に詩人のトックは自殺を果たすが、死後に交霊術により現れ、様々な質問に答え、自分の死後の名声を気にかける。中でもハインリヒ・フォン・クライストやワイニンゲルのような自殺者を友人として称賛するが、自殺はしていないがそれを擁護したモンテーニュは評価する。しかし、厭世主義者のショーペンハウエルとは交友しないという。人間の世界に戻った彼は、河童を人間より「清潔な存在」と振り返り懐かしみ、対人恐怖が一層激化することになる。


河童の国っていうのはどうやら人間社会とは真逆のシステムで成り立っています。特に不気味なのが、"胎児に河童の世界のことを聞かせ、生まれたくないというなら合法的に中絶する"という部分。人間を始め汎ゆる生物は自分の意志で生まれることは出来ませんよね。しかし河童の国ではそれを選ぶことが出来るのです。

精神患者である語り部は河童社会こそ理想的なものであると思い、結局人間社会では精神患者の烙印を押され収容されてしまうのです。


さて、冒頭でも述べましたがこの作品は芥川龍之介が自殺した年に発表されました。僕にはどうしてもこの"河童の国"が芥川龍之介の考える至上の世界であるかのように思えてなりません。特に「或阿呆の一生」などを読んでいれば尚更。晩年の芥川龍之介を解き明かしうる作品の一つと言えるでしょう。僕からは以上です。

【書評】憂国【三島由紀夫】

【憂国】1961年発行
【作者:三島由紀夫】

名前は聞いたことあるって人も多いであろう三島由紀夫の代表作。二・二六事件を題材とし、叛乱軍となった仲間らを討伐しなければならなくなったことに懊悩した主人公が妻と共に心中する物語。短編ではあるがそれを全く感じさせない濃密な情景描写、感情表現の数々は正しく三島由紀夫作品と呼ぶに相応しいのであります。


あらすじ

昭和11年2月28日、二・二六事件で決起をした親友たちを叛乱軍として勅命によって討たざるをえない状況に立たされた近衛歩兵一聯隊勤務の武山信二中尉。彼は懊悩の末、自することを新婚の妻・麗子に伝える。すでに、どんなことになろうと夫の跡を追う覚悟ができていた麗子はたじろがず、共に死ぬことを決意する。そして死までの短い間、夫と共に濃密な最期の営みの時を過ごす。そして、2人で身支度を整え遺書を書いた後、夫の切腹自殺を見届け、自らも咽喉を切り、自決する。


いや暗いっすね!だって自殺する話ですから。こういう言い方をするとあまり読みたいとは思わないかもしれませんが、僕はこの本を何度も何度も読み返してしまいます。正真正銘、純粋潔白な文学と呼べるからです。主人公の苦悩を、妻との最後の営みを、腹を裂き迸る血液を、嘗て無いほど鮮明に表現しています。

というかぶっちゃけ、あまりにもこの作品は"完成された世界"なので、なんというかもうここであれこれ語ることすら烏滸がましいと思ってしまいます。

強いて言うならば、この作品こそ三島由紀夫の死生観、芸術観を解き明かす鍵であると思います。思想に忠を尽くし死に殉ずる人間の至上の美徳ってやつをこの作品から感じ取れればいいんじゃねぇかなぁ、うん。僕からは以上。

2017年7月5日水曜日

【雑筆】ムショキン~無職の近況報告2~

どうも僕です。

酩酊中の記事です、お気をつけください

僕達が普段食べてる「ししゃも」って呼ばれてる魚はカペリンという全く違う魚であったり、車海老だと思って食べてるものがバナメイエビだったりでなんだかそう言われると逆に本物を食べたくなるなあなんて思ってる無職僕です。

意識高い系読書感想文というブログタイトルにあるとおり、"意識高い系が好みそうな本"の感想やレビューをするブログであるわけです。

で、あるならば、意識高い系が好まなそうな本のレビューは出来ないわけです。いや別にしてもいいんだけどそうなるとこのブログのコンセプトと齟齬が発生するので。で、このコンセプトを喪失するとこのブログの価値が薄れるわけです。何故ならばそういったブログが犇めく状況でレッドオーシャンに突っ込む勇気がないから。ブルーオーシャンを見つけるには何らかのコア・コンピタンス(意識高い系が好む経営用語だ!だいたい企業の核となる能力とかだ)が必要なのです。

なので一応別枠で、雑筆、随筆といった旗で折角読んだ本の軽い感想を述べるべきこの枠を設けました。ラベルは「意識別に高くない読書感想文」でいいんじゃない?知らんけど。

そもそもこの記事何?と思う方も多いと思うのでまず要約するよ。

・なんか意識別に高くない系読書感想文ってのをやってみたいと思った
・なんかもう普通に極めて個人的なブログ解説したらいいんじゃね
・酔い過ぎて意味ワカンネ

こんなところ。もう酔いすぎてわっけわっかんないけど、僕を切り売りして商売していくうえで意識高い系って縛りはちょっと厳しいんじゃないかなって思い始めたのです。

このブログ自体ツイッターでは対して公表せず運悪く見つけちゃった人が読めば良いんじゃないって程度の気分で運営してます。

でもやっぱ僕は僕が世界一好きで僕以外が世界一嫌いなのでそんな僕が見せられる僕は僕・・・ゆ、ちょちょちょっと待ってください

まぁなんかいろいろやりてぇってとこよ。そのうえで現在進行、わ、わかんんあい

つーこって、ツイッターとこの黒歴史ブログと、キャス、動画などいろんなところで展開出来るように準備を進めています。まぁそのためには僕自身の価値が問われるので無職にはなかなかむつかしいところなんですが……適当にがんばります。僕からは以上!

【書評】自殺について【ショウペンハウエル】

【自殺について  他四篇】1952年くらいから発行
【作者:ショウペンハウエル】

19世紀ドイツの哲学者ショウペンハウエルの哲学する"自殺"。宗教的に自殺は是か?古代ギリシャにおいて自殺は否か?そしてショウペンハウエルにとって自殺とは何か。自殺大国日本の国民にとって自殺は目を逸らしていられるほど遠い世界の話ではないですよね。誰だって一度は死後を思い生の意味を自問自答した夜があったはず。ありました。あった。


今回は非常にページ数が少ないので軽い紹介と陳腐な感想だけにしておきます。記事内容が内容なので、近く自殺で誰かを亡くされた方、自殺に纏わる話題がこころに滲みてしまう方はお気をつけください。


机にこれを置いておいたらおふくろに心配されました


曰く、自殺を犯罪と考えるのは「一神教のユダヤ系宗教」の信者たちだけ。自分とはいえ殺してるわけですからね。けれども旧約聖書にも新約聖書にもこれを是とも否ともする記述はない。じゃあ何故犯罪なのかと言うと「兎にも角にも私は悪いと思うからだ!ぷんすか」といったふうな議論に帰結。結局自殺を明確な理由で犯罪、或いは不正に当てはめるのはむつかしいのです。


さて、少し自殺というのを紐解くために例を挙げましょう。仮にあなたの友人が窃盗、暴行、詐欺といった犯罪を犯したとして、その報せを聞いた印象と自発的な自害を遂げたという報せを聞いた時の印象はあまりに違うはずです。彼の者が死んでしまったという特質はありますが、それを差し引いても呼び覚まされる感情は哀愁や同情ではないでしょうか。


では、古代に於いての自殺とは?古代ローマの博物学者プリニウスはこう記しています。"神は人間に対して耐え難い苦悩への賜物として自殺を賦与してくださった"と。
最近女子中学生が何の苦しみに苛まれていたわけでもないにも関わらず自殺しました。曰く、"一番楽しい今この時に死んでおきたい"。自殺はネガティブで宵闇に身を投じる様な印象がありますが裏を返せばポジティブな行為だと思いませんか?僕は幼いときから"いつでも電源ボタンを押してゲームを辞められるように、いつでも自殺出来るなら何も恐ろしくはない"と考えてます。別にそう思えって話ではないんですが、そういう考え方もあると知ってもらいたいのです。

あんまり書いてしまうと全容になってしまうのでここまで!


ここから感想。

毎週毎週ニュースで誰かがいじめを苦に自殺、学校側は自殺を否認、電車で人身事故、心中等を聞きます。一見悲しいように聞こえますが、僕はむしろ「ああ、この人は漸く楽に成れたのか。マイナスの感情がゼロになったんだ」と思います。いやこんな口調じゃねぇけどよ……。親の掃除機がゲーム機にぶつかって電源を落とされるより自分で電源を切った方がいいでしょう。選択の余地なく殺されたり生かされたりするよりも、選んで生きたり死んだりしたほうが幸せだと思いませんか?


最後に、僕は自殺を否定も肯定も、良しとも悪しとも、是とも否とも言いません。自殺については人類史永劫議論されるべきだと思っています。せっかく自殺大国に生まれたんですから、自分なりに自殺への印象を哲学してみてはいかがでしょうか。僕からは……以上です。

2017年7月2日日曜日

【雑筆】無職の近況報告

略してムショキン。

冬は暖かくなったら頑張ると言い、夏は涼しくなったら頑張ると言い、何かこのまま人生が終わってしまうような気がする僕of僕です。

僕はビール一口で全身がゆでダコになるほど酒が弱いのでカクテルを全然摂取出来ずバーテンダーを諦めた過去があります。諦めた回数だけで言えばぶっちゃけ負ける気しねぇッス。俺ガチなんで!

けれど、お酒はやっぱり美味しいもので。僕は舌がビッチなのでどんな酒とでも寝るわけです。出会って数秒で美味しい美味しい言ってしまうのです。いやそれは当たり前なんだけどなんかちょっとひねった言い方がしたかったわけよ。その結果がコレですわ。

一応シェイカーは扱えるので自分で自分のために作ってみたり僕の聖母ことやっこさん(彼女)にオリジナルカクテルを作ってみたり。それなりに携えたそれなりの酒知識はそれなりに役立ってるのです。20代前半は酒に詳しいと何故か羨望の眼差しを受けられます。子供の頃は走るのが早いと羨望マッハでしたね。中学の頃はエロ知識、高校の頃は勉強。僕はこの辺で挫折しました。

そんなわけでとくとく酒を飲んで思い出したくない過去に蓋をして湧き上がる闇をせっせとスコップで押しのけてる日々です。友人共は着々と就業から1年が経ちどことなく大人に見えてくるのに自分だけなにか高校から時が止まってしまったように思う。こういう心持ちで生きていくのはあまり心地の良いものではありません。

いくつもの淀んだ苦悩を解き解すには本が一番です。前回あたりの記事でドストエフスキーの「地下室の手記」を紹介したと思うんですが、あれは本当に良かった。これ俺やんけ!って思うんですよ。百数年前の本なのに不思議です。膨大な、けれど星の歴史から見たら浅ましい人類史では自分のような人間がやはり何人も生まれていて、それは作品の中にすらいたんだと思うと少し心が救われるのです。自分は澱み腐り何か靄がかった存在ではなくて作家からすれば取るに足らないキャラクターにすぎないんだなあと。何百年も前の本なのに「わかる……めっちゃわかる……」ってなる現象、ありますよね。ない?じゃあある体で聞け!結局人間ってのはどんな時代でもどんな環境でもだいたい等しく愚かで完全な聖人も完全な悪人もいない、どこか黒や白より灰色に近い存在だと思うのです。あれ、ちょっと見返したらこの文章マヂキモくない?

まぁなんかそういう感じで本は良いです(投げっぱなしジャーマン)。
予告してたドストエフスキー作品はあと4作なんですが、まぁ長いのと読みづらいのと複雑なのと気が滅入るのとでとにかく時間がかかってます。文学史上最高峰と謳われる所以はわかるんですがいかんせん暗い!僕はスポンジなのでこういう暗い雰囲気みたいなのをすぐ吸収してしまうのだ。用法用量を守って正しくゆっくり読ませてください……。

海外ドラマを観ました。「メンタリスト」ってやつです。人の機微やわずかな仕草、表情から心を読み取り暗示にかけるメンタリスト。そんなメンタリストが犯罪の捜査に協力するって話。これが面白い。キャラクターが魅力的で個性的。堅苦しい組織に風穴を空ける主人公の天真爛漫っぷり。メンバーは彼に翻弄されるけど事件は見事に解決する。日本人はこういうの好きだよね。型破りな主人公ってやつがよォーーーーーー!!(唐突なJOJO)

で、日本のドラマと比べて絶望したわけです。予算が違いすぎるだろ!って声もあるかもかもかもだけどね。33分探偵みたいなのがまた観たいな……そんな無職の切望。

さて、このブログは意識高い系読書感想文として、意識高い系が好みそうな本をレビューするって目的でした。でしたっていうか今もそうなんですけどどうも本以外でも興味のあることが無限に増えてしまって今みたいに収拾がついてません。もしかしたら別枠で無職のブログを作るかもしれません。その時は無職をどうぞよろしくね。っていうかさすがに働けよ……

こんな感じでたまにムショキンをしていきたいと思います。別に意味はないんですが改めて近況を文字にすることで如何に今の自分がうんちかって気づけたので多分無意味ではなかったです。僕の人生そのものが無意味かもしれない。人生とは?意味とは?万物が死に絶えるこの世界で何が有意義だというの……

ちんこの話ばっかりだけどツイッターもよろしくおねがいします。何をよろしくするんだ。たまにキャスもやってるのでそっちもよろしければ。なにがよろしいんだよ。はい、僕からは以上。いや、僕からは以上!