2017年1月28日土曜日

【書評】動物農場【ジョージ・オーウェル】




【動物農場】1945年8月17日刊行
【作者:ジョージ・オーウェル】


1984年などで知られるジョージ・オーウェルの寓話作品。動物たちのお話です。




あらすじ

人間達に飼われていた家畜動物達が人間を追放し、動物たちによる平等で理想的な社会を目指す。しかし指導者の豚たちは権力を恣にし、動物たちは人間に飼われていたときよりも劣悪な生活を余儀なくされてしまう。



………このあらすじを読んだだけでロシア革命や社会主義国が頭に浮かんだあなた!意識が高い。というのも、この作品はロシア帝国、大英帝国、ナチス・ドイツのみならずその指導者を動物や人間に置き換えた寓話作品。ロシア革命を風刺し、社会主義的ファシズムを痛撃しています。




実はあらすじらしいあらすじはこんなとこで終わりです。1984年と比べて読みやすいしページ数もそんなにないですからね。せっかくなので動物農場の愉快な仲間たちを紹介しましょう!




動物農場の愉快な仲間たち



ナポレオン


雄豚。演説は苦手だが政治的根回しに長け、狡猾。後に独裁者と化す。モデルはソビエト連邦第2代最高指導者:ヨシフ・スターリン


スノーボール 

雄豚。一時は主導権を握り、風車建設計画や農場電化計画を推進するが、ナポレオンによって追放され、反逆者とされる。ナポレオンの政策の失敗は、スノーボールによる破壊工作によるものとされ、ナポレオンによる統治に反抗する者は、スノーボールの一派であるとの自白を強要されるなど、まさに雪だるまのように諸悪の根源としての虚像が膨れ上がる。モデルはソビエト連邦マルクス主義思想家、レフ・トロツキー


メージャー爺さん

雄豚。全ての動物の平等と自由を謳った「動物主義」を唱えるが、革命直前に病死。モデルはロシア革命を指導しソビエト連邦初代指導者となったウラジーミル・レーニン


スクィーラー


雄豚。雄弁家で、相手を丸め込むのに長けている。ナポレオンの腰巾着。モデルはヨシフ・スターリンの片腕ことヴャチェスラフ・モロトフ


ボクサー


雄馬。働き者で力持ち。他の動物たちから尊敬されていて、ナポレオンも一目置く。常に「I will work harder.(わしがもっと働けばいいのだ!)」と言い続けてひたすら真面目に働く律儀者。しかし、高齢と重労働のため体力が落ち、脚を怪我したことで馬肉業者に売られてしまった。モデルはミハイル・トゥハチェフスキーを初めとする赤軍将校。また、アレクセイ・スタハノフに代表される「労働英雄」であるとする見解もある。


ベンジャミン


雄ロバ。農場きってのインテリ。ボクサーと並ぶ労働率先者。ボクサーとは彼の生涯を通して親友であった。豚を除く動物達の中でもいかにこの豚達による理不尽が異常かを頭の良さ故かとりわけ理解しているが、これをどうにかしようとはしない消極者。ボクサーがボロ雑巾のように使い捨てられ命まで売られたことには流石に応えたが、それでも動こうとはしなかった。モデルは不明だが、ボクサーともども赤軍将校や労働英雄と見るべきか


モーゼス

カラス。まだ家畜たちが蜂起する前の農場にて、御馳走が食べ放題の天国の存在など沢山のユートピア神話・都市伝説を吹聴し、困窮する家畜たちに希望を与える半面、現状打破の意欲も削いでいたため、スノーボールやナポレオンらから疎まれ続けていた。モデルはロシア正教会とその神父たち


9匹の犬

ナポレオンが密かに育てた犬の一群であり、ナポレオンに忠実な存在。敵対した動物を粛清する。後に子供もできたことで数が増える。モデルはチェーカーやGPU、その関連機関。ヒツジたちナポレオンに反対する動物や、都合の悪い発言が出た時に、議論の脈絡に関係なくある特定のスローガンを連呼(シュプレヒコール)して妨害する。モデルは共産党青年団コムソモール



ダンテの見た地獄より地獄的ですね。僕は前知識無しで読んだんですが、こいつもしかしてあいつじゃねぇか?とか、この出来事ってもしかしてあの暴動じゃねぇか?などなど、推理しながら読めました。それも面白いですが、やはり前知識としてロシアないしソビエト連邦を取り巻く環境共々知っておくとよりわかりやすいかと思います。

2017年1月21日土曜日

【書評】そこまで言うか!【堀江、ひろゆき、勝間和代】

【そこまで言うか!】2010年発行
【堀江貴文、ひろゆき、勝間和代】


発端はこうだ。
勝間和代さんの新番組「デキビジ」にひろゆきが出演した。だが、お互い超寝不足のまま収録に望んだこともあって議論は噛み合わずピリピリムードどころではない放送となってしまった。ひろゆきの独特なトークに真正面から立ち向かう勝間さんの掛け合いはネットでも大きな反響を呼んだ。(Youtubeに動画があります)
これを知った堀江貴文氏が是非これに加わりたいと思い、その鼎談は本書のようにまとまったのである。



この厚さを見てくれ。実は本書はノーカットである。ひろゆき曰く「逆に読みづらい」が、ノーカットでもこの三人の鼎談は面白く、興味深い。
本書でわかることは、以下のとおりだ。



・「デキビジ」収録当時の状況、その後


・三人の価値観、ネット観


・悪しき既得権益


勝間和代はオタクである



そして鼎談のテーマは…………


1.インターネットの規制について


三人ともネット黎明期から活躍(暗躍?)してきたが故か、かなり本質的な議論になります。
……それもありますがネットでも割と話の種になる三人だからそれについてもお話されてます。ていうかひろゆきに関しては2ちゃんねるの管理人だったし。このテーマについては未だに各地で議論されてますよねぇ…


2.ITは世の中を良くするか?


当時孫正義が提唱していた光の道について触れます。2015年までに全世帯をブロードバンド環境にしようということです。さて、今はどうなってますかね?堀江貴文氏曰く、「光回線なんていらなくない?」


3.お金があれば幸せ?


お金とお金の持つ力と使い方について。面白いのが、拝金主義者というレッテルを貼られてる堀江貴文氏は「月7万もあれば地方で暮らせるじゃん」と言い放つんです。もともと個人的な資金はほとんど宇宙開発につぎ込んでる以上、本当にそう思って言ってるんでしょう。
日本の全体主義的な思考が民衆の価値観を一定のものにしてしまっているんじゃねぇかなと思いました。学校教育でも、風潮でも、親の教育でも、お金の本質的な価値を歪めてしまう要因なんではないかと。必死で大企業の正社員になりたがる人はもちろん安定とお金とブランドに惹かれてるわけで。じゃあその根底にあるお金が一体当人にとってどれだけの"価値"になるんでしょうかね(半ギレ無職)


4.日本文化は素晴らしい?


書店に行ってもブックオフに行っても、いつも新刊で溢れてますよね。海外ではこんなことはないです。出版できる本のハードルが全く違うんすね。それと、漫画。NARUTOやワンピースの影響で日本語を勉強し始めた外国人とかけっこう聞きます。テレビでもたまに紹介されてますしね。海を超えて日本を知ってもらうためには作品を通じてもらうほかないんじゃないかなと思います。それが日本にとっては漫画なのですね。だって映画も音楽も大したもんじゃないし……っていうかろくなもんじゃねぇし……クールジャパン(笑)

………このテーマの中で勝間さんのオタク的過去が白日のもとに晒されます。こんな人なのだなあと思うこと間違い無し。


5.起業と就職、どっちがいい?


大学生が読むと不安になるテーマです。なぜなら信じてきたものが幻想だと証明されるから。

15年間普通にサラリーマンだった勝間さん。とは言え、もう子供がいたから就職活動はしてなかったのですね。

東大なのに全然通わず有限会社オン・ザ・エッヂ設立後に大学を中退した堀江貴文氏。なんで東大を卒業して大企業に就職しなかったの?と思ったあなた。正常です。少なくとも日本国民としては。

米国でアーカンソー中央大学留学中に2ちゃんねるを開設したひろゆき。ここで英語を話せるようになったのは今につながってますよね。なんてったって4chanの管理人ですから。


………三人とも満場一致で起業を推薦。何故なら就職はネズミ講で搾取されるから。大体の人は就職の方が楽そう、起業は大変、リスクが高そうと思いますが………僕は就職して搾取され過労死し縊死し轢死するほうが幾分か不幸に見えます。日本は特別起業に向かない国ですが、IT化した今なら………?



6.政治で日本は良くなる?


ちょうど参議院選挙を終えた時期の鼎談です。勝間さんも言ってたんですが、例えば啓蒙思想のない国家足り得ない国で選挙をしたとして、それは果たして民主主義と呼べるんですかね?適切な教育と知能を持った民衆が選択することで始めて民主主義が成り立つんです。では何がクソか?金と投票率を持ってる老人に媚び愛想振りまく政治家、テメーだよテメー。これは民主主義では……ないですよね。だって医療福祉を充実させて安全に暮らしたい老人のために甘い言葉を囁やけば当選できるんですから。全く、不相変俺ら若者はなんのためにいるんですかね(半ギレ)

また、残念なことに菅直人総理がまた糾弾されてます。本書の発行は震災以前ですが、震災中も彼は全然駄目でしたよね。いや、本当に。


7.若者は日本を変えられる?


さて、老人第一主義、年功序列、全体主義、歪んだ儒教の教え、老人の暮らしを支える若者による腐敗した政治家と愉快な仲間たちこと日本ですが、若者の敵は果たして何者なんでしょうか
国の価値観をひっくり返すのはいつも革命です。アラブの春もロシア革命もキューバ革命もフランス革命も、それまでの常識を一変させたものです。要はラスボスが明確だったんですね。こいつを倒せば国は変わる!良くなる!ってね。
しかし今の日本の鬱屈とした雰囲気の根源は何でしょうか?明らかな斜陽国家であるにも関わらずどこを修理したらいいのか検討もつきません。これが厄介なもので、誰に文句を言えば良いのかすらわからんのですね。

強いて言えば既得権益。大企業がいつまでものさばり、老人が法を曲げ、検察を使役しメディアが人々の意識を掌握する。既得権益が既得権益を守ることでビッグシールドガードナーみてぇな強固な盾を作り出してるのです。とっくの昔に、生まれながらにして支配されてるのです。変な言い方ですが、僕はこの国を見せかけの資本主義、意識的な共産主義と考えています。

じゃあどうすればいいいんだよ!と思うでしょうが、本書の発行から7年後の日本は多少なりともマシになる兆しを見せています。変わらざるを得ないのです。インターネットの普及により井戸の外を知ったアラブ国家国民が革命を起こしたように、なんかおかしくね?と気づく機会は誰にでも与えられてるのです。未だにメディアは目を背けさせようと躍起になっていますが、民衆を完全にコントロールすることは不可能なのです。

なんだこの長文!?日本人の性質上、革命を起こすのは無理です。ですが、ひとりひとりの意識がじわじわと国外の常識や国内の異常に根ざしていけば、ゆっくりと変わっていくことはあると考えています。まぁ正直日本に暮らして外国の国籍を持つのが一番なんですけどね。水も飲めるし、飯は美味いし、人は親切だし、ネットはできるし。




こんなところでしょうか。なんか最後発狂したように筆が走ってしまい申し訳ない。この本、もう7年も前の本でしょ?情報古いんじゃない?と思ってましたが、そんなことはない。むしろ気付かされること、知らされること、思わされることづくしです。読む人それぞれに気付かされることがたくさんある本です。だってこの三人の鼎談だぜ?是非お手に取ってまったり読んでみてくださいね。

2017年1月16日月曜日

【書評】歯車【芥川龍之介】

【歯車】


作者:芥川龍之介





芥川竜之介晩年の傑作。いわゆる話らしい話のない小説だが、芥川竜之介本人の視る幻覚、妄想、強迫観念の数々は全体に優しく陰鬱な雰囲気をもたらしている。芥川自身の死の直前を描いた作品です


………個人的にこの作品こそ最高の小説だと考えています。とはいえ、これは小説ですらないと思う人も多いはず。何故ならこの作品があまりに異質だからです。よく「或る阿呆の一生」と同列に語られます。どちらを読むのが先であれ合わせて読んでもらいたいです。
そいではあらすじと概要をどうぞ。


概要とあらすじ


僕(芥川自身)は知り合いの結婚披露宴に出席するため東京のホテルへ向かう。その途中にレインコートを着た幽霊が出たという噂話を耳にする。その後事あるごとに季節にそぐわぬレインコートを目撃し、僕はだんだん不気味になってくる。そして小説を執筆していた時、僕は義兄がレインコートを着て轢死したことを知らされる。

復讐の神、黄色いタクシー、モグラ、翼、家事、赤光(しゃっこう)、過去の罪や死の予告を思わせるものが現れだしたことに僕は苦しみ、夜の東京を彷徨う。
時折僕の視界には半透明の歯車が回り、やがて視界の外へ消えると偏頭痛による鋭い頭痛を感じていた。

やがて僕は家へ帰るが、頭痛をこらえて横になっていると、妻が慌てて僕のもとへ来てこう告げる。「なんだかお父さんが死んでしまうような気がしたから」僕はもうこの先を書き続ける力を持っていない。こういう気持ちの中に生きているのはなんとも言われない苦痛である。誰か僕の眠ってるうちにそっと絞め殺してくれるものはないか?









………ものすごく陰鬱なあらすじですね。主人公は芥川自身です。幻覚や死、伝説上の動物や神話を聯想させるものに彼は怯えます。これは今で言う統合失調症にともなう誇大妄想と強迫性人格障害に当たります。当時は名前もないですから、その苦しみは計り知れないません。



ここでいくつかの不可解なフレーズを僕なりに解説していきます。



視界に回る半透明の歯車


これに関しては僕も体験してるので詳しく説明できます。
こんな感じでギザギザ、チカチカしたものが視界を塞いでしまうのです。これを閃輝暗点といいます。偏頭痛に伴う症状です。これを芥川自身は"半透明の歯車"と表現し、自らを死へ刻々と向かわせていると考えます

"この症状を訴えるたび医者は僕に禁煙を勧めた"と書いてある通り、まだ科学的な証明がなかったのでしょう。

僕には銃弾を受けひび割れた窓ガラスのように見え、ほとんどの視界は黒ずみ見えなくなってしまいます。じきにこれは視界をゆっくりと滑り消えていきますが、やはり彼と同じように偏頭痛に変わります。

………前述の統合失調症もそうですが、精神疾患と偏頭痛に伴う症状が科学的に立証されていなかったために彼は苦しんだのだと思います。僕自身最初にこれを体験した時ははっきりいって狂ったのかと思いました。この半透明の歯車は彼にとって死へ、破滅へ刻々と向かわせる歯車に見えたのでしょう。この解釈は被害妄想ですが………病名もなにもないのだからそう考えてもおかしくありません。


人生は一行のボードレールに若かない


ボードレールは"シャルル・ボードレール"、フランスの詩人、評論家です。代表作に「悪の華」など。
わかりやすく表現するなら、"人生はボードレールの表現する一節にすら値しない"ということでしょう。末期の芥川はいわゆる芸術至上主義で、芸術のためなら倫理観や人生さえも投げうってしまうべきだと考えたのです。これは「地獄変」のテーマでもありましたね。地獄変では主人公が娘の焼かれる様を喜々として絵に活かし最高傑作を完成させます。その後縊死してしまいますが………。


蠢く蛆


彼は食事中、肉をナイフで切ろうとしたところ小さい蛆が蠢いているのを発見します。あまりに不気味な幻覚です。結婚式場の料理ですから現実ではないでしょう。今で言う統合失調症の幻覚症状に悩まされていたと考えられます。やがて彼は蛆からワーム、Wormという英語を聯想しそこに伝説上の動物を思います。翼を見ればギリシャ神話で飛翔を叶えたものの太陽に焼かれ墜落し死亡したイカロスを聯想します。これは誇大妄想ですね………何を見ても不穏なものを聯想してしまうのです。












………晩年の芥川はこういった症状のみならず自身の病弱さに悩み、最後には服毒自殺してしまいます。この小説も死後発表されたものです。作中は「罪と罰」、「ボヴァリー夫人」、「韓非子」、「赤光」などの作品が登場します。彼が芸術を、詩を、小説をいかに愛していたかが見て取れます。前述のとおり「或る阿呆の一生」と合わせて読めば晩年の彼が何に苦しみ何から逃れようとしたかがわかると思います。僕はもともと芥川が好きだったので割にすんなり読めたのですが、彼の人間性まで知らなければこの小説の醍醐味は味わえないと思います。………そのためにも彼の代表作はここで紹介させてもらいます。

2017年1月14日土曜日

【書評】0311再起動【堀江貴文】

【0311再起動 君たちに東日本大震災後の世界を託す】
作者:堀江貴文



(今回は真面目な内容です)



東日本大震災とその後の復興について


この本のおおまかなテーマはこれである。東日本大震災発生当時の状況、その経過、そしてその後の日本が目指すべきことについて述べている。


東日本大震災発生が2011年3月11日。そして堀江貴文氏の実刑が確定したのが4月26日
2013年3月27日に釈放されるまでの間、ある意味で堀江貴文氏は表舞台に登場しなかったことになる。とはいえ、メルマガやなどのネットサービスは続いてましたがね。そしてこの本も……いやはや、恐ろしい男です………。

そいでは目次と合わせておおまかな内容をドゾー




1.震災発生当時の状況:Twitter


震災発生時の状況をTwitterを通して書き連ねている。当時堀江貴文氏はTwitterによってコトの重大さに気づき、そしてTwitterを使いフォロワーの安否確認に尽力した。つまり、安否確認のツイートをリツイートし、"なるべく"正しい情報を取捨選択し共有したのだ。だってフォロワー多いし。そういう有名人はけっこういたよね。思えば当時は情報が錯綜し混乱もみられた。そして次章に続く。


2.震災発生当時の状況:情報化社会というものの再確認


堀江貴文氏は安否確認ツールであるGoogle Person Finder、正しい原発情報を知るための大前研一氏のYoutube動画、そして義援金受付窓口としてJustGiving Japanを紹介した。Twitterでは安否確認ツイートで溢れかえり、原発情報はデマが氾濫し、義援金受付窓口は乱立していたからだ
更に、Google Mapsと被災地の交通状況を同期するサイトも生まれた。
つまり、インターネットが幾人もの人を救ったことにある。デマなどの問題もあったが………


3.震災鬱・東北独立特区


震災鬱 : 当時、津波の映像や被災地のあまりにも悲惨な現状、そして錯綜する情報、原発問題、無能首相に疲れ果ててしまったことを覚えている。これを震災鬱と呼ぶらしい。そしてそれらは体現化し自粛ムードを生み出した。ムードと言ってはいるがそれははっきりと表面化していた。経済的に考えれば自粛にはなんの意味もないことくらいはわかるものだが、あの当時に美味しいものを食べに行こう、高いものを買いに行こうなどとは到底思えなかった。誰もが、何かが終わってしまったと思ったのだ。堀江貴文氏も同様に異様な当時を振り返っている。

東北独立特区 : 復興後の東北を想い描いた妄想である。収監された堀江貴文氏にとっては"釈放後の東北"ということになる。というかなんというか、小説である
曰く、東北は国防・外交以外すべて地方分権、つまり国家になっている。選挙はネットによる直接民主制で、社会保障ベーシックインカムだけ・・・といういかにも堀江貴文氏が好きそうな話。2017年現在も同氏はベーシックインカムを推してるだけのことはある。個人主義の、地方分権による、国家の集合体。連邦である。この特殊な島国に限ってはそうなったら面白いかもなぁと思う。ちなみに、同氏はこの妄想について異議も同調も良しとしている。


4.東北から日本のこれからを考える


唐突に菅直人総理を糾弾する。彼は同年5月に浜岡原子力発電所を発表したのだ
国民は福島を思い感情的にはそれを受け入れたが、中部地方に多い機械工業生産拠点はどうなってしまうだろうか?トヨタは生産拠点を海外に移転せざるを得ないと言い出した。実際にそうなれば日本の経済的損失は計り知れない。当然である、あのトヨタである。
更に、原発問題に喘ぐうちに原発エンジニアが海外に引き抜かれてしまう懸念もある。どっかで聞いたな、確か日本より待遇のいい韓国、中国企業に技術を売るとか……
日本の原発エンジニアのレベルは世界トップである。だが彼らは感情的になった国民に叩かれ罵られた。
結果論で言えば菅直人総理の決断はクソである。正しくなかった。国民の意志に沿うあまり現実的に物事を決められなかったのだ。
………津波はあまりに多くのものを攫っていったが、悲観していても何も生まれはしない。マイナスをゼロに戻す以上、必ずプラスに転じる可能性はあるのだ。震災によってインターネットの可能性、そして集合知の力を再確認した人は多いはずだ。同氏はいくつかの事例とともに情報化社会に沿う新たな可能性を明示している。


5.国家とその在るべき姿


震災当時、日本政府に何が出来ただろうか?いや、何をしただろうか。
震災、津波、原発というもはや国家レベル程度では処理できない自体の前に、政府は無力と化した。実際に行動した人々の正しい行動によってのみ人々は救われたのだ。(同様に現場で活動にあたった方々に敬意を表します)
ここで堀江貴文氏が問うのは「国家」。あまりの加速度で情報化していった社会にとって日本政府はどう存在意義を見出すのか。現に今でも情報漏えい、ハッキング、クラッキングの練習台みたいなもんやし………
東北独立特区でも述べていた通り、不相変ベーシックインカムを推す同氏である。何故なら、過保護なこの国で保護が行き渡らない以上ベーシックインカムの個人主義に根ざす思考が噛むからである。
要は震災を通して国家の問題を指摘している今時、子供でもすらすら出てきそうなもんだけどね………


特別対談:瀬戸内寂聴×堀江貴文


瀬戸内寂聴とは、最近(2017年)生き飽きたと言っておきながら普通に手術して生きながらえた人であるいや、すみません……
お二人は大まかにライブドア事件、死生観、宗教、お互いのことを話します。東大宗教学出身の堀江貴文氏と天台寺住職の瀬戸内寂聴の対談ですから、それはもう……濃い。めちゃくちゃ愉快です。現実的に、論理的に、宗教的に、人間的にお話されてます。


個人的な感想


僕がこの本を読んだのは2016年、つまり震災から5年後です。どうも飽きっぽい我ら日本人はもう福島のことを失念しているようです。いや、問題に蓋をしてしまおうとしているのか……。
現に僕もようやく思い出したといった感じです。当然でしょう、みんな自分の目前に迫った問題に必死ですから。誰かに問題を押し付けて処理してもらいたいものです。
震災が齎したのは多すぎる死と表面化です。表面化したのは問題と可能性です。原発や国家問題、そしてインターネットやメディアの可能性。不幸を謳いたがる日本族ですが、そう思ってもいいはずです。いや、思うべきだ。今から再確認し再起動するのも遅くはないだろう。
ここまで真面目

ここから不真面目
一気読みすると、堀江貴文氏が「こうしたらいいんじゃね?こういうのあるよ」って提示しまくる本だなと思ってしまう。彼の本は割りとそういう傾向が強いんだけど、この本は少し異質。
というのも、取り扱うテーマがテーマだけに言葉を慎重に選んでるようなのだ。瀬戸内寂聴との対談もあって"堀江貴文の本"として楽しむこともできる。あの拝金詐欺野郎!と思ってる人にも読んでほしい。合わせて「収監」とかも読んでほしいな。マスメディアの皮を剥いで観る彼もそう悪くはないしね。
僕は当時Twitterをしてなかったのでこの本でいろんなことを知った。Twitterを始めとしたSNS、ネットサービスがどれだけ活躍していたか。菅直人総理がどれだけ……その……アレだったか。表面化、顕在化した問題はなんだったか。そしてそれは今どうなっているだろうか?
数年が経った今、それぞれの立場で、それぞれの当時を思い出しながら読んでほしい一冊です。ようし、決まったな!

2017年1月13日金曜日

このブログについて

投稿テストも兼ねた初投稿です。


このブログは意識高い系書評です。
要は意識高い系が好みそうな本を読んだ僕of僕がその書評(書物の感想とか)をバシャーっと書き連ねるといったそんなブログ。いやどんなブログだよ…


意識高い系が好む本っていうのは………例えば起業や社会問題をテーマに掲げた書物であったり、ドストエフスキーなんかの難解な書物です。いや、ですって断言してるけど勝手なイメージです。固定観念ですね。僕は馬鹿だ…


もう一つは作者。
意識高い系が好む作者っていうのがあるのですよ。
前述のテーマに沿う堀江貴文兄貴、西村ひろゆき兄貴、上杉隆兄貴………小説で云えば芥川龍之介兄貴、ドストエフスキーニーチェゲーテなどなど……尊敬したり注目してる人物が書いた本は誰もが気にかけますよね。このブログで扱う作者も主にこの羅刹共です。しゅきぃ……


もしかしたら取り扱う分野が僕の肛門括約筋ばりに広がって色々な方向に着手してく可能性も無きにもあらずです。いやない、あるだろうか?どうだろう……とにかく当面はこれらをテーマに掲げてやっていきますよっと。


とりあえず初記事はこんなところで終わるのだよ。こんなんでいいのか?いいってことにして、終わり!したっけ!